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日々の出来事のログ

人間のドラマ
それが歴史だと言う人がいます
どうもこんばんは

早速ですが今回のテーマです

「明智光秀が謀反を起こした理由について」

信長への恨み説

朝廷からの働きかけ説(その頃朝廷は朝廷をないがしろにする信長の態度に危機感を感じていた)

元々の野望説

等諸説あるけど
一番有力だと思うのは
元々の野望説だと考える

理由①
ある資料にこうゆう記述がある。
「主君とその恩恵を利することをわきまえていた」「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」「彼(光秀)の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者が信長への奉仕に不熱心であるのを目撃して自らがそうではないと装う必要がある場合などは、涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」
これは光秀がいかにミスターイエスマンであるかを評している
上司に従順に尽くし出世したいという野心がこの文章で読み取れる
だから元々一城の主になり、一国の主になり次は天下を取ろうという野心があったとしても不思議じゃない


理由②
主要な兵士、武将の大半が各々の地方で戦っている為、畿内で大軍を擁しているのは光秀しかいなかったから
柴田勝家は越中で上杉と対峙
羽柴秀吉は中国地方で毛利と対峙
滝川一益は京から遥か彼方の関東で仕置き中
丹羽長秀、織田信孝は四国征伐の為、堺で軍備を整えている最中で戦える状態じゃない
足元の京には織田信長、信忠親子と徳川家康が僅かな近習を従えているだけ

もしここで信長父子と徳川家康を殺害したとしても
地方で対峙している柴田、羽柴は
まず敵対大名と講和ないし、攻め滅ばしてから引きかえす事になる
容易にはこちらを攻められない
秀吉の所なんかは援軍をほしいと依頼してくる位だから
信長討ち死にと毛利が知れば、羽柴軍は蹂躙されるだろう位に思ってたのかもしれない
因みに光秀は本能寺の変、直後に毛利、上杉等の大名に信長を討ったと書状を送り
講和を先手で妨害しようとした

だが、その使者を羽柴隊が捕まえて「信長死す」をいち早く知った秀吉は
中国大返しで光秀を葬る
関東の滝川が大軍を率いて畿内に来るまでには時間がかかる
丹羽長秀が近くの堺にいるが、これはまだ準備中で容易に戦が出来る体制にはならない
先手で攻めればいい
各軍団長が戦線で膠着している間に
畿内を従えて各個撃破していけばいいという構想だったのかもしれない

元々野心があったと考えた上で以上の条件が揃っていると気づいて
突発的に行動を起こしたとしても不思議ではないと考える

つたない、、くてすみません

あと
光秀が君主である信長父子を殺した事は紛れもない事実であるけれど
これで光秀は悪い奴という程単純じゃない
実力主義の信長に認められ信頼され一介の浪人から5大軍団長の一角を担う程になり
本能寺の変後に家老各で裏切った武将は一人もいなく、むしろ山崎の戦いで劣勢にも関わらず多くの家臣が身代わりとなって討ち死にした。信望の厚さが窺われる
領国の丹波では善政を敷き領民からも「あけっつあん」と慕われていたらしい

1582年に起きた本能寺の変直前の情勢は
織田が武田を滅ぼし勢力を関東まで伸ばし関東覇者の北条
東北の伊達、蘆名、最上等の諸大名が一斉に恭順の意を示し
残るは越後の上杉、中国の毛利、四国の長宗我部、その先の九州
とほぼ日本の君主が決まりかけていた矢先に起きた政変で
事実ばかり先行してその行動に至らしめた動機の資料が不十分な為
論争は尽きない。。。と

今夜もご覧頂きありがとう御座いましたm(_ _ )m