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2017-01-16
【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。

【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。
2017年1月16日(月) 晴れ
 
いやあ凄い! ゾクゾクしている。風邪を引いた訳ではない。歴史の真実を垣間見た感動と言ったら言い過ぎかもしれないが。(笑)
 
以前から、長州藩(現山口県熊毛郡田布施町)に住んでいた大室寅之祐と言う大男が、江戸時代最後の天皇であった孝明天皇の息子であり、本来なら明治天皇になる筈であった睦仁親王とすり替えられて明治天皇になったという説は、ネットで読んで知ってはいたが、やはり、この話は本当だったと確信が持てた。
大室寅之祐については、南朝の末裔であるという説も一緒にネットでは流れていたが、一方では、田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落なので、大室寅之祐も朝鮮の血を引く人間だと言う説もネットで読んだ様な気がする。今回、それが、どちらも間違ってはいないと言う事が感じられた。
 
何があったのかと言うと、現在、中丸薫さんの著書「天皇生前退位と神国・日本の秘密」を読んでいる最中なのだが、その中に大室寅之祐という人物の話が出て来るのである。これはもう間違いないと思った。
何故そう確信したかと言うと、その大室寅之祐、即ち、明治天皇の実のお孫さんが言ってるからである。つまり、明治天皇と側室である千種任子(ちくさことこ)と言う女性の間に生まれた息子・堀川辰吉郎さんの娘である中丸薫さんご本人が自分のお祖父さん(明治天皇=大室寅之祐)の事を言われているからである。
 
中丸さんのこの本には、大室寅之祐が孝明天皇の息子と入れ替わって明治天皇になられた経緯も詳しく書かれている。一部を列記すると以下のとおりである。
中丸薫さんは、天皇家の系図を所持している。(この書籍にも写真が掲載されているので、時間があれば、虫眼鏡で拡大しながら転記でもしてみたい。)
鎌倉時代に、後醍醐天皇が幕府から統治権力を奪って建武の新政を敷いたが、結局は幕府勢力に破れて吉野の山に落ち、南朝を興した。
以降、京都に残った天皇(北朝)との対立が続く南北朝時代に入るが、その後、北朝側では足利義満が、自分の娘を皇室に嫁がせたり、さらには自分が北朝の女性との間に子を作り天皇にしてしまったため、その時点で、神武天皇以来続いて来た男系の皇統が途切れてしまった。
幕末になり、長州藩にいた後北条家の末裔の志士や吉田松陰が、やはり天皇家は本来の神武天皇の系統に戻すべきだと藩に進言し、長州藩により、天皇家の南朝への回帰作戦が開始された。
大室寅之祐は、南朝(後醍醐天皇)の末裔であるが、大室家は毛利家に保護されて長州に住み着いていた。伊藤博文、岩倉具視らが、大室寅之祐に帝王学を徹底的に教え込み、最終的に孝明天皇の息子とすり替えて大室寅之祐を明治天皇として担ぎ上げた。
孝明天皇と息子である睦仁親王のその後については、暗殺説と隠居説があるらしい。ちなみに、孝明天皇は妹の皇女和宮を徳川幕府将軍に嫁がせて公武合体を進めて徳川幕府の将来を描いたり、過激な攘夷派(外敵撃つべし)だったりしたので、明治維新を打ち立てることになる薩長とは対立が続いていたと言う側面もあったらしい。
後醍醐天皇の墓は吉野にあるが、墓のあるお寺には後醍醐天皇を支えた十五の家柄が書かれた立て札がある。その家柄の一つ、菊地家は西郷隆盛の同族だった。薩長同盟が実現した背景には、この南朝回帰作戦も関係しているらしい。つまり、南朝回帰の話が無かったら明治維新も無かったかも知れない。
大阪で中丸薫さんの講演をした時に、ある人が中丸さんを訪ねてきて、フルベッキと明治維新の志士たちが写った写真(フルベッキのお孫さんが持っていた写真)をくれたらしい。その写真には大室寅之祐(中丸薫さんのお祖父さん)も写っている。この写真を中丸薫さんがある人に貸したら、知らない間に世間に広まったらしい。
中丸薫さんが大室寅之祐の弟のお孫さんに会いに行ったら、すぐに血の繋がりを感じたのか涙の対面になった。その場所(多分、田布施町)は被差別部落になっているが、明治天皇になる大室寅之祐がその地から出た事を隠蔽するための工作として被差別部落にしてしまったのだろうと中丸さんは言っている。
子供がいなかった高松宮(昭和天皇の弟)家から、大室家の血を引く男子に養子に来て欲しいという打診があったが、明治政府からのそれまでの仕打ち(隠蔽工作のための土地没収など)の経験などからお断りしたらしい。
最後に一つだけ、中丸薫さんによると、日本人のルーツは、縄文時代からの先住民族、外から渡って来た人々、それからユダヤの失われた十支族、宇宙人などがいるが、秦氏、物部氏、蘇我氏などはユダヤ系の人らしい。そのユダヤの人達が日本に辿り着いたルートには2通りがあり、海から舟で渡って来たルート、ユーラシア大陸を歩いて辿り着いたルートがあるらしい。従って、中には朝鮮半島から渡って来た人もいるらしい。今上天皇が以前、記者会見の場で、天皇家の祖先は朝鮮半島とも繋がっているという様な発言をされた事があるが、もしかしたら、この事かもしれない。
 

黒板五郎 (id:masuraoo) 7年前

  
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 @

>田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落

はあ?そんな事実はありません。証拠のないものを信じる人は愚かです。
田布施町の広さをご存知ですか?他の町村と同様に、田布施町にも被差別部落はありましたが、町のごく一部です。
田布施町の大半の町民は平民で武家もありました。

6年前 

 黒板五郎

@さん、コメント有り難うございました。
約1年前の書き込みへのコメントですね。その当時の私の知見レベルで書いた内容なので、今にして思えば確かに間違いもありますね。
最近は、落合莞爾さんからの情報を得て、色いろと情報が広がりました。山口県と朝鮮半島からの渡来人の関係についての新しい情報として、南北朝時代の頃に、周防は朝鮮からの帰化人の基地的な地域になっていたそうです。そこで、後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王の第一皇子であった興良(おきなが、おきよし)親王が、周防の監視のために現地に派遣されたそうです。そして、明治天皇となられた大室寅之祐は興良親王の子孫なんだそうです。つまり、明治天皇(大室寅之祐)は、間違い無く護良(もりなが)親王の直系男子なので、天皇を即位する正統な血筋なんだそうです。本来、孝明天皇の後継として天皇を即位する筈だった睦仁親王(孝明天皇の皇太子)は、裏天皇(落合莞爾さんの言葉では國體天皇)を即位して堀川天皇となられています。そして堀川天皇(睦仁親王)の皇太子が堀川辰吉郎さんと言う方で、父親から國體天皇を引継ぎました。この堀川辰吉郎さんが、記事に書いた中丸薫さんの父親です。
被差別部落の話は上の記事に書いたとおりの事が中丸薫さんの書籍に書かれていましたので、そのとおり、当時の皇室筋が余計な詮索をさせない(近寄らせない)ために噂を流したんだろうと思います。

6年前 

 黒板五郎

@さん、コメント有り難うございました。
約1年前の書き込みへのコメントですね。その当時の私の知見レベルで書いた内容なので、今にして思えば確かに間違いもありますね。
最近は、落合莞爾さんからの情報を得て、色いろと情報が広がりました。山口県と朝鮮半島からの渡来人の関係についての新しい情報として、南北朝時代の頃に、周防は朝鮮からの帰化人の基地的な地域になっていたそうです。そこで、後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王の第一皇子であった興良(おきなが、おきよし)親王が、周防の監視のために現地に派遣されたそうです。そして、明治天皇となられた大室寅之祐は興良親王の子孫なんだそうです。つまり、明治天皇(大室寅之祐)は、間違い無く護良(もりなが)親王の直系男子なので、天皇を即位する正統な血筋なんだそうです。本来、孝明天皇の後継として天皇を即位する筈だった睦仁親王(孝明天皇の皇太子)は、裏天皇(落合莞爾さんの言葉では國體天皇)を即位して堀川天皇となられています。そして堀川天皇(睦仁親王)の皇太子が堀川辰吉郎さんと言う方で、父親から國體天皇を引継ぎました。この堀川辰吉郎さんが、記事に書いた中丸薫さんの父親です。
被差別部落の話は上の記事に書いたとおりの事が中丸薫さんの書籍に書かれていましたので、そのとおり、当時の皇室筋が余計な詮索をさせない(近寄らせない)ために噂を流したんだろうと思います。

6年前 

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これは凄い!! 世界の陰謀論が吹っ飛んだ! 世界中の人に読んで欲しい。これが真実の歴史なんですね!!

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