梅雨の晴れ間のある日の朝、今日は海に行こうかと娘に提案すると、「うみー!」と嬉しそうなので、急遽海に行くことになりました。彼女が海を見るのは一年ぶりで、0歳の時の記憶はたぶん無いだろうけど、時々開く家族のアルバムや、テレビで見る「うみ」の歌を通して、海が何かは何となく分かっているようでした。
予想外の渋滞で目的地まで車で2時間・・・無計画の遠足はやっぱり楽しい。気の向くまま、心の向くまま、誰の制約も時間の制約も受けずに、大好きな所に行く。目的地はもちろん、私の生まれ育った街の海岸。5年前、10年前は娘と一緒にあの砂浜をお散歩できるとは思わなかった。
私は若い頃、生きることの意味について悩み、哲学の道に進み、たくさんの「問い」を考えたのだけれど、最近、子育てを通じて思うのは、それらの「問い」が無意味になる場や関わりがこの世界にはあるということです。四六時中子どもと過ごしていると、自分が忘れていた角度からもう一度世界を見させてくれる。それは人生行路の半ばにおいてとっても大事な経験だと私には思われるのです。
海に着いた時、娘は大きく微笑みました。波はまだ少し怖い様子だったけれど、私にぎゅっと抱き着きながら、波の音や動き、水面のゆらゆらと漂う光などを娘はずっと観察していました。そして、波から離れたところで一緒にキレイな貝殻を探しました。
帰宅すると娘はお兄ちゃんに「うみ」「なみ」「かい」やお昼に食べた「てんどん」という覚えたての言葉を早速披露していました。そして、ママに今日はどこに行ったのと聞かれると、「パパ、うみ、だっこ」と娘は初めて3語文を話しました。それから一週間ぐらい、貝殻を落として割ってしまうまで、毎日貝殻を積み木の上に並べたり、おままごとの道具にしたり、お風呂の中に浮かべたりしていました。よっぽど楽しい経験だったのだと思います。