社会不安障害
私の人生において
社会不安障害になってしまい
普通に日常生活を
送れなくなってしまった経験は
生き辛さワースト1の
経験です。
振り返ると
常に他人の目線を気にしまくって
毎日ビクビクしながら生きていた
19歳あたりには
もう既に発症していたと思います。
家族と話すのも
友達と話すのも
親戚と話すのも
ご近所の方と町内での遭遇も
職場でのやり取りも
同僚とのランチタイムも
とにかく人と関わる全てに
異常なほど緊張してしまう…
そして
緊張のあまり固まってしまい
そこから逃げ出したくなるほど
心が追い込まれる
そんな症状が
如実に表れ始めた30代前半の頃
これはもう普通じゃない!
でも
自動操縦で異常な程に緊張してしまって
自分では何ともできない・・
私の日常生活の全てが
得たいの知れない恐怖とともに
出口の見えない真っ暗なトンネルの中に
いるような感覚…。
このままだと私は平穏無事に
生きていけなくなる!
誰か助けて!
そう思って、
心療内科に通う事を決め
心療内科で出された診断名が
社会不安障害
というものだったのです。
社会不安障害を抱えていた私
パニック発作、鬱にもなりました。
そんな私も
心療内科に通い始めてから
3年程の月日が経った頃でしょうか・・
以前よりは
症状がかなり良くなり
私は先生にお願いして
減薬をしながら病院に通う事を
辞める事にしたのです。
その後、
引きこもった時期もあったけど
働けるようになるまで回復し
職場でも同僚と普通に話したり
プライベートでも
みんなで食事に行ったり…
社会不安障害の時に
恐くてできなかった事が
すんなりできるようになった私は
もう社会不安障害はなくなったんだ!
これからはもう大丈夫!
そして私は
人生を変えるために
明るい未来のために
上京する事を決めたのです。
東京でまたあの悪夢のような生活が
始まるとも知らずに・・・
東京で
新しい環境・新しい人間関係に
身を置いた私に
まもなくして
すっかり治ったと思っていた
社会不安障害の症状が
再び現れ始めました。
上司や同僚の前でも
スーパーに買い物に行って
レジにいる店員さんの前でも
友達の前でさえも
自動操縦で異常な程に緊張して
固まってしまい
恐くてその場から逃げたくなる…
こ、これはまさしく
あれ(社会不安障害)に違いない・・
もう治ったと思っていたのに![]()
どうして![]()
そんな思いを抱えながらも…
病院に行く気力も湧かず
こんな私のままで
一生過ごしていくのかな…
こんなに辛い思いをして…
私は何のために生まれて来たんだろう…
夢や希望を持って東京に出てきたのに
社会不安障害にもがき苦しみながらの
東京生活になってしまいました。
冗談抜きで
毎日が地獄のような日々でした。
でも、やっぱり
こんなにも苦しい人生は
私は本気で嫌だったんですよ。
だからどうしても人生を変えたくて
探しに探して潜在意識の事に出会い
私の潜在意識と本気で向き合い
心を整えていく事を始めていきました。
心の病になった原因への気づき…
そんなある日
心を整えるセッションを
受けている最中
私の目の前に私の潜在意識が
その姿を見せてくれました。
母親から
厳しく厳しく大嫌いな勉強を
強いられていた子供時代
常に他の子と
成績等で比較されていた子供時代
常に自分の感情を押し殺して
両親や周りの人たちの
顔色を伺ってビクビクしながら
生きていた子供時代
を過ごしてきた私(の潜在意識)は
お人形さんに
なってしまっていました。
私のままでいたら
お母さんに嫌われるでしょ
それにお母さんが
私を自由に操れるようになれば
お母さん、安心するでしょ
大好きなお母さんに
気に入ってもらえるように
お母さんにとって
完璧な私になるように
お母さんのお人形さんに
なったんだよ
でも
本当は「私」になりたいよ
なのにお母さんがいるからなれないよ
苦しいよ・・・
早く人間になりたい・・
私の潜在意識(お人形さん)の目から
涙が流れてきます。
この子の切ない思いが
人間ではなく
お人形さんになってしまう迄
追い込まれてしまった
この子の苦しさが
顕在意識の私の中に広がっていきます。
顕在意識の私の目からも
切なさと苦しさの混ざった
大粒の涙が流れきました。
私は…私は…
長い人生ずーっと
私を生きていなかったんだ。
それが
心の病として現れてきていたんだ…。
それを教えてくれるために
この子(私の潜在意識)は
私に姿を現してくれました…。
第2章へと続く…
本日も長いブログを最後までお読み下さり
ありがとうございました![]()









