肥後もっこすの独り言

肥後もっこすの独り言

人的資源管理論、人間主義経営学を考えるブログ
のつもりでしたが、興味のおもむくままに、その他諸々を綴ります。

佐賀で育ちましたが、生まれも、両親も熊本人ということもあり、自身の気質に基づき、タイトル変更。

Amebaでブログを始めよう!
毎年、この時期、いつもはほんのりと陣取ってくる、ドクダミ。

今年は、その版図を拡げていた。

手で抜くと、あの独特の匂いが、、、

と思い、今回は、何か駆除方法が無いかと検索。

農薬、重曹、塩、お酢、

ドクダミの特徴も書いてある。

なんでも地下茎が網の目のように拡げているせいで、抜いても抜いても生えてくるそうだ。

農薬の場合、いくつかのタイプがあるようだが、葉っぱに塗り、吸収させて、根っこを駆逐する事ができるとのこと。


いくつかの記事を読み、塩水でやってみることに。
濃い目の塩水で、土壌成分を変化させ、雑草すら生えなくなるとか。
ま、別に雑草はいらないなあ…


8%の塩水……500のペットボトルだと、40gか。
結構、濃いめだ。

一昨日、塩を購入し、濃い塩水をペットボトルに。
2ℓほど撒いた。

昨夜、確認してみると、確かに薄っすら効いているように見えた。
キッチリ40gを計り、1ℓ分を更に追加。


今日、見たら、やっぱり枯れ始めているようにみえる。

朝顔のテリトリーを避けて、また撒いてみようか。


効果テキメン!
2018.5.2追記
最初に、、、喪中につき、、、
このパターンは、無かったので、なんともはや。。。


今現在、楽しくお仕事をさせて頂いている。
これはこれで、大変に有難い事。

傍から見れば、只のデータ入力にも見えるし、ずっと座り仕事って、キツくない?とか、色々と言われるけど、本人的には、何ら問題は無い。
加えて、マネジメントやら、海外の仕事の仕方、思考を学べたりするので、たまには腹も立つが、楽しくやらせてもらっている。

過去、携わってきた職務の、余力で働けているので、特段の「努力」はしていない。
強いてあげれば、体調管理を少し考えているくらい。

今年は、より一層、「働く」から「稼ぐ」意識へと、シフトしようと思う。

今の仕事は、ある程度、「天職」に近いけど、少しの変化で無くなる可能性がある、と意識している。

事務職ってのは、そう遠くない未来、無くなるんじゃないかと思う。
とはいえ、人材育成や、人的資源管理、マネジメントに近い職は、練度、というかスキルが必要だと感じる。
特に、傾聴スキルは、重要。


現在の仕事は、「データ入力」と書いたが、入力に至るまでの流れを理解するまで、随分、時間を費やした。
元のデータを纏める方がいるお陰で、昨年は、一昨年よりも、楽にはなった。

まだ暫くは、生き残れそうか。

たぶん好きなんだと思う。
「努力」とか「無理」をしていないと感じているから。


ただ、二年後、三年後、今のまんま、というのは無いと思う。
昨年末、かなりまとめて学びの機会を作り、改めて、基礎力の大切さを感じた。


今年も、昨年以上に、大変な年になる、そんな予感がする。

準備を、コツコツとしてはいる。
間に合えばいいが。

その人にとって楽しい事でも、他者から見れば「努力」しているように見えるらしい。
本人的には、楽しいから続けているだけなのだが。。。

学ぶ事って、そんなに特別な事とさえ思っていない。

より楽しい未来の為。
今、できる事を楽しんで。
それが遠回りのようで、ホントは近道なんじゃないのかな。
小説人間革命の第二版は、初版と読み比べた時、大きく改訂されている。
「書き換えられた」という方もいるが、真意は、序文に明らか。

細々とした変更点は些細なこととさえ感じる。大要、より戸田先生の弟子、就中、山本伸一青年への訓育に重きを置かれている。
また、当初の新聞連載中、宗門からの圧力があったのであろう。
自らの権威を守る為、戸田先生の獄中の悟達、師弟論に横槍を入れたであろうことは、想像に固くない。

1990年代に連載を再開。
1993には、新人間革命の執筆を開始された。

大聖人の、血脈は、大戦中の枚口会長の神札拒否以来、当時の創価教育学会に受け継がれ、戸田先生が創価学会へと改称されてからも、いささかも変わることはない。

この底流に流れ、末法万年を潤す、生命尊厳の思想、宇宙根源の法則は、池田先生に受け継がれ、現代の為、未来の為に展開され続けている。

今、この時がチャンス。

筆者個人の活動において、表面上は、何も変わらないように見えるだろう。
師匠だけがお分かりになれば、それで十分。
この時に立ち上がらずして、いつ立ち上がるというのだろうか。


活動や数値的目標が目的ではない。
部数や支持者の、拡大は、主眼ではなく、メンバー、お一人お一人の幸の拡大、歓喜の拡大、功徳の花を咲かせる、その為の宿命転換。

世界の、日本の広宣流布。
その元は、自身の人間革命に他ならない。

手段と目的が混同され、本末転倒する時、リーダーの生命は、魔に食い破られる。

仏法は、仏の生命と第六天の魔王との、間断なき闘争なのだから。
大白蓮華に掲載されている、池田先生の御書講義の意義についての覚書。


以下は私論。

かつての「生命の語る」「敦煌を語る」「私の釈尊観」等以来、「法華経の智慧」に至るまでの、様々な対談、鼎談集。
これらは、生命の本質たる、一念三千論を現代に展開されてきた。
対談形式をとられていることもあり、随他意と考える事ができよう。

2005年から掲載された「開目抄講義」。
大変読みやすいのだが、随自意。
大変、読みやすいのだが、理解するのは用意ではなかった。
随自意なるが故、語られた真意を理解、いや、信解、了解する事は、以下の三点を軸に思索をしないと、できないのかと思う。

・師弟
・本尊
・同志

この三点を念頭に置き、生命の奥底からの信力を持ってして、初めて、その本質に迫ることができるのではないだろうか。


2015年までを黄金の五年。
その翌年から二年間、延長されたように思う。
2016年の最後の三ヶ月、改めて、信行学を説かれた。
2017年、日蓮仏法、創価の思想を様々な角度から展開されてきた。

この二年間の流れをふまえ、2018年からの講義を考える時、刮目して拝して参りたい。

はてさて、このブログを書き始めた動機は何だったか。
やり場のない思いを綴りたいと思ったことも、文章修行の一貫の意味もあった。

自身の原点を見つめたり、立ち止まって、思考を整理する、なんて目的もあった。

転職の多さは、それだけ就業先での出来事への秘匿義務も生じる。

ある程度、綴りたい事を書けるとは言え、曖昧にせざるを得ない部分もある。

祖母からの聞き語りは、いくらかの配慮が必要で、赤裸々には書けなかった。

そんなこんなで、勝手な自主規制をしながらだったが、ここ数年、断続的に続けた結果、いくらかの思考の整理ができた事も事実。

WordPressへの参入は、もうしばらくかかりそう。技術面もそうだが、なによりターゲティングを絞り込む事に、もう少し時間を使いたい。

これだけ個人のブログが溢れかえってはいるが、個人においての一時期な流行りは長くは続かない。
そんな現実の中でも、継続的に更新し続けられている方々も、決して少なくはない。

それが例えお小遣い稼ぎ程度であれ。

インドア派ならそれなりの発信はできるだろうし、情報収集にかける時間もあるだろう。

なによりも収入源には、選択肢がひろがっている。


基本となるのは、その人の軸。
戦略と戦術。
踏み込んでいえば、戦略の上位、ビジョンや人生観、世界観を深め、抽象度を上げた思考を続けることかと。

そして、同時に、人の求める半歩先への意識。
んなところかな。