大阪メトロ10系。その1 | 鉄道とバスのブログ

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大阪市交通局(現大阪メトロ)で初めての冷房車として御堂筋線に導入された10系が7月4日に最後の1編成が営業を終了して引退となった10系について紹介しよう。


試作車20系

1973年に谷町線での急行運転を想定した試作車として、まず2001-2301-2401-2501の20系(初代)4両が全電動車方式で製造された。谷町線と中央線において各種試験が実施されて好成績を収めたが、従来を上回る高速運転を主内容とする急行運転計画は局内でも発言力の大きな土木・保線部門(特に電力課)の反対で取り下げられ、当初計画されていた最高速度100km/hでの高速運転試験を実施することができなかった。


旧20系

しかし、当時最新の回生制動機能付き電機子サイリスタ.チョッパ制御器を搭載する同系列は速度の加減速制御を抵抗器による放熱に依存する在来の抵抗制御車と比較して走行時の放熱量が格段に少なく、当時増結に次ぐ増結と高密度運転の実施、そして近隣地域での過剰な地下水汲み上げに起因するトンネル内の温度上昇が深刻な問題となりつつあった御堂筋線におけるトンネル内温度上昇の抑止手段として注目を集めた。このため、中間車4両を新造して8両編成への再編と10系への改番、それにこれまでの試験結果を反映した小改良を実施の上で御堂筋線への転用が決定され、1974年6月7日付で移籍手続きがとられた。もっとも、チョッパ制御車にはスイッチング素子であるサイリスタから漏洩する高調波ノイズによる軌道回路への干渉による誘導障害など特有の問題があり、実用化までにはその後もしばらく走行試験を繰り返して各種保安機器の正常動作を確認する必要があった。このため営業運転開始は1976年2月までずれ込み、10系01編成は暫定的に御堂筋線内限定運用とされ、主に中津 - 天王寺間で営業運転が開始された。

また、走行時の放熱が少ないことから日本の地下鉄事業者かつ第三軌条式車両では初となる車両冷房の搭載も行われた。





旧20系から改番の01編成

量産車の新造

その後、御堂筋線の輸送力増強および新線開業に伴う車両捻出を名目として、1979年より冷房装置を搭載した量産車が製造され、北大阪急行への直通運転が始まった。



量産車

10系の導入に伴い、御堂筋線の主力車両だった30系の一部が谷町線、四ツ橋線、中央線に転属された。