BethpageのBlack Courseにて当地より帰国が決まったラグビー部先輩の壮行ゴルフ。

2002年/2009年のUS Openが開催され、東海岸でも随一の難コース(白Teeで6684ヤード/Course Rate 73.8/Slope Rate 135-青だと7468ヤード。。。)といわれるこのコースは、予約を取るのも大変なところ、猛暑の影響か何故か運よく後輩が手配してくれたもの。前日からWeb上のBlog等を読み難しさに感嘆しつつ、我々のような素人がやるからには、とにかくHit & Runに徹して遅延を起こす事だけはないように、と誓いながらコースに到着。朝から気温は既に90度を超えており、緊張感も暑さの前に萎えかねない状況。。。


コースに到着し、1番ホール前でお約束の記念撮影。これが有名な「ヘッポコゴルファーはPlay禁止」という看板かと感嘆しつつ、Tee groundへ。
S.U.in New York City

回り出すと、Fairwayはある程度広く無理をしなければある程度コントロール可能なるも、グリーン周りのバンカーの配置のきつさとあごの高さ、ラフの深さに圧倒される。(但し、予想に反して多少刈っていたためか、ボールがなくなるということには殆どならず)グリーンは思っていたより、速さはなく。但し芝目と傾斜がきつく、しっかり打たないと中々Hole inせず。おしんゴルフに徹し、ボギー・ダボを繰り返しながら何とか耐えるも、7番ホールで10叩き前半は54.必ずどこかで事故を起こすのは自分の癖でもあるし、普通より10-15は余計に叩くといわれていただけに、まあ実力的にはこんなものかという感じ。


緊張のほぐれた後半は何とか100切りできないか狙ってみようと、ちょっとアグレッシブに攻めることを決意。430ヤードあった11番で会心のバーディを取得。

その後もボギー・パーで揃えて15番ホール終わった所で後半は5オーバー。サンダ-ストームが来そうだなあ、持ってくれるかなあ、と思いながら、スコアを多少意識しだす。残り3ホールが勝負と思ったところで、16番でシャンクやチョロ発生。おかしいなあと悩みだしたところで、みるみるうちに空が暗くなり、強風と大粒の雨が降り出す。風はあっという間に暴風になり、砂嵐・木々が飛び出したところで、一目散に駆け出す他のパーティに倣い、木陰に避難。そうこうしていると、「トルネードだ。そんなところにいるな」との叫び声を聞き、慌ててコース内にあるトンネルの中に逃げ込む。周りはびしょ濡れのゴルファーだらけ。雷が落ちる音を聞きながら、30分程待機。

雨が小降りになったところで、お互いに「やはりここに来たからにはやりきらねければ」という気持ちがムクムクと湧き上がるのを確認。まあ普通だったらやらないよな、という想いと、こういうCrazy memberでないとこんなことできないなと思いながらプレー再開。緊張感が切れたこともあり、その後はチョンボ連発。終わってみれば最後の3ホールで23叩き仕上がりは54+52=106。


スコアは多少残念だったけれども、猛暑と竜巻を味わいながらラグビー仲間の絆の深さを改めて知る1日ともなり、記憶に残るゴルフとなりそう。Hole Out後、素晴らしく整備され且つChallengingなコースを見ながら、Club houseのBarにてBeerを飲み、改めて、秋に再挑戦し100切ってみたいとの想いを新たに。



今週も35度を超える猛暑。

そんな中、懲りずにゴルフ+@。


土曜日はHaworth Country Clubで会社のコンペ。青Teeだったこともあり、小技のミスや第二打でのOBなどやはり実力がそのまま出る結果に。49+54=103。二日酔いというか酔っぱらい状態のまま参加した先週の120よりは遥かにましだったけれども、ちょっといただけず。そのまま、Sevens Rubgyに出ていたチームに合流し、最終試合の前半だけ出て7分持たずにGive up。。。夜は、最近当地駐在になった中学時代からの友人の歓迎会。


日曜日は、少し癒し系Golfをしようということで、会社の先輩二人とPublicのDyker Beach Golf Course(http://www.americangolf.com/ny/brooklyn-dyker-beach-golf-course )へ。

Publicで距離は表示以上にはある感じだけれども(白TEEで6300弱)、高低差も殆どなく、一部除けばOBを恐れずに打てるまさに癒し系のコース。NYCマラソンの起点になるVerrazono Bridgeの袂に位置していて、マンハッタンからYellow Cabで行ける上に、市民値段で44USDで回れるのは嬉しい。(カートでも62USD) とはいえ、グリーンもきちんと整備されていて、猛暑で夏枯れを起こしていたHaworth よりも、良い状態。運動不足解消を兼ねて、暑さを省みず、担ぎで回り体の回転が良かったこともあってか仕上がりは45+49=94。アイアンがまだまだだけど、Driverがぶれなかったのは少し前進。


しかしこれぐらいすれば少しは痩せるのかなと思いながら、いつになったら効果がでるのやら。


先週に引続き、恒例の墨出張。そんなに頻繁に行くならメキシコに駐在すればいいじゃないか、と散々言われるが、そうはいかない事情というのもある訳で、週毎に往復夜行便は流石に自分の体を磨り減らすのでRed-Eyeは片道に限定。

帰路のFlightでは、幾つかMailを片付け、読みかけだった黒木 亮の掲題小説の下巻を一気に読破。同氏は同業での勤務経験のある金融専門家でもあり、自身の携わったBusiness経験BaseとしたSemi-nonfictionを、細部までRealityを以って描いていることもあって、自分の周りにも読者が多い。前著の「エネルギー」等は、仮称で書かれている人物像に関し、現実の世界での姿・業界での噂(半分都市伝説?)等を思い浮かべながら読めた事もあって、個人的にも周りに薦めてみたこともあった。


今回の「トリプルA」は、家庭の事情もあり格付会社でアナリストとして生きる道を選んだ元Bankerの目線から、サブプライム危機・リーマン危機の一端を担ったともされる格付機関の変遷を切り口としつつ、金融市場主義の破綻を描いたもの。自分が社会人になって以降と時代背景が略重なることもあり、あの頃は新聞報道等で仄聞程度でしかなかった出来事の背景を改めて認識しながら、往時の自分の姿と重ねたりしつつ、興味深く一気に読んだ。


Businessに於いて、中立性と商業性とは両立は不可能ではないものの、そもそも論として利益相反を孕んでおり、心の底に潜む私欲の悪魔を完全に拭い去るのは困難と思わざるを得ないが、小説中に描かれている姿を踏まえるに、独善的なまでに学術的とも評される部分を持っていた筈の格付会社が、多かれ少なかれ商業性志向に切り替わった2000年以降の負の人為的な遺産の積上げが寄与して、破綻の一角を担ったという切り方は反論の余地の少ない正論と思う。実態としては、格付機関という比較的草食系(---仮に自分の投資利益を離れて純粋に分析をやっている人々がいるならそうとしか言えないとも思う)の集団を獰猛な肉食系に変えしまうほどの、米資系金融機関と米政界の暗躍が、より強いDriverだったのではないかと思うが、当事者になったことがないので想像の世界であることは否定できない。(「エネルギー」に描かれているような親近感はないので)


又、小説中では、そんなビジネス世界の非倫理性の対極として、胎児段階での感染が原因で授かった重度障害児を持つ親としての主人公、及びその妻の葛藤が描かれている。作者のPersonal Lifeに関する知識は皆無であるし、周りに居る知己・家族へのHomageなのかとも推察するが、近い将来には子供がほしいと思う身として、決して他人事とは思えず、身に詰まされる。また、創業者として一代で為した資産を障害者雇用に資する事業創出に奉げた、元ヤマト運輸会長の目指した“商業性”が、狂乱する金融市場との対比として描かれている。小説中に描かれる両者の相違は、言うまでもなく、夢・理想・希望といった想いが、仕事に込められているかということの有無に尽きるのかと思う。持続性ある仕事というのは、時として保守的という言葉と同義とされかねないが決してそうではなく、やはり金だけではなく強固な意志によって支えられるものなのだろう、でも意志を完うするためにはそれ自体が健全な経済性を持たない限りは戯言であるetc、、、と作者の想いとは関係なく、自分の仕事や周りの状況にぐるぐると自分の思索を廻らせている内に、旋回していた飛行機もNewarkに無事着陸。


繋がったBlackberryを見て、機中に居る間のトラブルの発生を知り、現実に引き戻されるのでした。。。