自分を責めてはいけない
自分は攻めるもの
自分に勝つは、自分が敵
もうひとりの自分がせめてくる
通常、人は、
せめられる側でものごとを考えていることに気づいていない
自分を責め続け苦しんでいる人達もいる
自分で自分を責めて苦しんでいる
ある意味、茶番劇、自慰行為
せめる側も自分
せめる立場の自分からせめられる自分を見れば、
もうひとりの自分はどんくさい
いくら言っても言うことを聞かない
同じことを繰り返す
なんなら落ち込む始末
すぐに立ち直る人もいれば、
一生ひきずる人もいる
後悔し続けている人もいる
*後悔を持つと前には進めない
「後悔」は同じことを繰り返さぬ自分への「戒め」や「十字架」や「教訓」としてカタチを変え、未来へ持っていくもの
後悔は一生持たなくて良い
同じことをしなければ良い
終わったことは終わったこと
一度終わらせたほうが再会も新鮮になる
ずっとひきずられてもこっちも困る
余談はさておき、
「責める」は他人の責任にすること
自分は他人の始まり
他人は自分を映す鏡
自分の心の内でも、もうひとりの自分に責任をおしつける
他者のせいにする
他者のせいにするのは人類の性根
言い訳するのも同じこと
自分の心の内でもやってしまう
多くの人は通常このようなことは考えない
意識にない
あーだこーだと自分を責めるだけでは、アホのひとつ覚え
自分を責め続けると不安が増幅しパニック状態やうつ状態にもなりかねない
自分にやられて(負けて)不安になった心の状態を化学の薬で治すのは無理がある
心が化学薬で治る(変わる)なら、
それはドラッグ、ソフト覚醒剤
ドラッグで不安を誤魔化しているだけで根本的解決にはならない
なぜなら、結局もうひとりの自分からは逃げている状態だから
そもそも、その状態が病気と診断される現代が異常
精神疾患の一部はつくられた医薬医療業界のビジネスマーケット
精神的弱者をつくりだす社会システム
多くの人はまんまとひっかかる
結局、
自分を責める、壁にぶちあたる、スランプ、ハードル、限界を越える、コンプレックス、、、etc.
これらの正体は自分が勝手(無意識)に決めた線引き
他人の言葉がきっかけであっても、
気にしてしまうのもまた自分
他人に相談したところで返ってくる言葉は「気にしないことね」
「気にしないことね」と言われているのに気にする自分
自分がつくりだした幻影(投影)に縛られていることに気づかなければならない
どうせ、自分をせめるなら責めずに攻めたい
もうひとりの自分を攻略したい
ゲームは攻略できても自分を攻略できる人は少ない
自分を攻める自分は、どんくさい自分のレベルを上げてくれる
「自分と向き合う」という言葉が世間に流れるのは、自分と向き合える人が少ないから
自分と向き合える人が少ないのは、自分に責められるから
責められるのは苦しいことだから避ける
もうひとりの自分が自分のレベルを上げてくれようとしているのに、
多くの人は自分の幻影(投影)モンスターを倒さない
逃げる
そんな弱い自分ならいっそのこと攻め続けて倒してしまったほうがいい
攻める自分で自分を支配してしまったほうがよほどレベルは上がる
どの道、どっちも自分
どの道、どっちかの自分を倒すしかない
でなきゃ、自分に勝つとは言えない
せめられる自分は、
もうひとりのせめてくる自分の攻撃パターンをさっさと攻略し、動じないようになること
せめる自分は、
どんくさい自分の弱点をさっさと攻略し、レベルアップを目指すこと
本当に自分と向き合えた人の発言は、それ以前の自分のことを過去(回顧)形で話す
なぜなら、
もうひとりの自分の存在を知ったから
もうひとりの自分を取り込んだから
もうひとりの自分は倒したから
もうひとりの自分と仲良しになったから
自分と向き合う前まではもうひとりの自分の存在など意識せず、無意識二重人格(多重人格)で生きていたことに気づいたから
今までそんなことがあるなんて考えもしなかったから
つまり、
夢から覚めたような、
ビンタされて我にかえったような、
状態になる
ゆえに、
過去(回顧)形になる。
「あのころの私は、、、、、」
いくら瞑想しようが、
いくら座禅を組もうが、
いくら修行しようが、
いくらお祈りしようが、
この心のメカニズムを理解できないと自分には勝てない
自分とは向き合えない
自分と向き合うとは、
もうひとりの自分の声を聴くこと
もうひとりの自分はひとりとは限らない、複数いる
その声に従っていけば自動的に自分らしさが出る
全部自分の言ったことだから
輝いている人は自分に素直
ただし、
自分を責めてはいけないから、
もうひとりの自分がなんと言おうと、他人を責めてはいけない