昔 歩けなくなった

腰椎をひとつ潰し

潰れた腰椎が神経を圧迫し


左側に何も感覚がなくなった


つねっても叩いても

赤く腫れてもなんも感じない


起き上がれない自分は

ただ床の高さで転がるホコリを見てた


あれからかなり経ってまた腰を痛めてる


用心はしても仕事をするなら

どうしても使う場所だから


今回痛めた時も泣いた


あれだけ注意したのに

欠かさず治療も通ってたのに

更にあちこち具合が悪くなる


死ぬかもなあ 今回こそ


そんな覚悟をひそかにしたよ




だけどあちこち助けが入って

私の寿命はもう少しあるんだな って

思い直した


無数の電波とエネルギーの飛び交う中で

こんな言葉を拾った


「不幸は気づかない事 痛みは訴え

訴えは認められていない自分

自分は悲しい 寂しい 寒い


浮かんだ言葉をあれこれ考える


痛みや怖さに薬や治療をするように

心に薬がいるだろう

ガラクタ扱いする前に

今まで頑張ってきた自分を褒める

そして その自分を構成する細胞に

薬がわりに感謝してもいい気がする


弱い弱いとかばってばかりの裏には

またいつかやるとおびえがあるんだな


夜 心の中で歌う

頑張った自分へ

その自分の細胞にも歌う


よくやった 少しくらいは傷んでも

またお前は 治る道へと歩く

ケアはご飯 いるものだから

だけど よくやった 偉いとかは

ご馳走とかケーキ

細胞もたまには

抱きしめてあやす事がいるんじゃないかな


身体ももちろん

そして最近 特に心のケアの必要性を感じる


半世紀生きたのに

まだまだ わかんない事だらけ


心は永遠に あれこれ不思議がるこども