僕の知り合いに、バーを経営している女性がいる。
経営と言っても、オーナー兼バーテンダーという小さなお店なのだが。
彼女がまだ雇われ店長だった頃の話。僕もまだ若くて、彼女に気があったのもあって、時間を見つけては彼女のお店に通っていた。
ある夜、その日も一人で飲んでいた。
夜も更け、店の常連数人がカウンターで飲んでいるだけという状態になった。
何かのきっかけで、彼女が、昔住んでいたアパートで体験した幽霊話をすることになり、それきっかけでみんながそれぞれ怖い話をすることになった。
その中の一人が、俺の友人が実際に体験した話なんだけどね・・・と語りだしたのが、『赤い部屋』って話だ。
簡単に内容を説明すると、
ある大学生が、古ぼけたアパートに引っ越してきた。
部屋を見渡すと壁に中指が全部入りきる程度の穴が開いていた。
覗いてみると隣の部屋までつながっているようだった。
しかしいつ見ても部屋は真っ赤だった。
不思議に思い大家さんに聞いてみた。
「大家さん、僕の隣の部屋って誰も住んでいないんですか?」
大家さんは
「いいえ、女性が一人住んでいますよ。ただその女性は病気でしてね、目が真っ赤なんですよ。」
実は女性がずっとこちらの部屋を見ていたという。
普通にネット上で見かける、ありきたりな都市伝説である。
「いや、ネットで見たことあるっすよ。」てな感じでツッコミを入れたりしている中、一人だけ神妙な顔つきをしている客がいた。
仮にJさんと呼ぶことにする。
Jさんは30代半ばから40前半くらいに男性で、たまにこのバーで飲んでるのを見かけることがある。
Jさんも飲み屋を営業しているそうで、客が少ない時は、早めに店を閉め、飲みに出かけるのだそうだ。
その開業資金を得るために、20代の頃、関東の方で、いろんな仕事をして金を貯めたらしい。
その中に、何でも屋のようなことをしていたこともあった。
とはいえ、仕事の内容は、ほとんどが特殊清掃がメインだったらしく、いわゆるゴミ屋敷の清掃だとか、夜逃げした人の部屋の家財処分、孤独死した人の部屋の遺品整理などをやっていたらしい。
ま、直接死体を見るとか、凄惨な現場の掃除とかはなかったらしいが、その中で、一度気持ち悪い現場を体験したことがあったそうだ。
会社に、あるアパートの大家から依頼の電話があった。
住人が家賃をしばらく滞納していたため、何度かコンタクトを取ろうとしたが、返事が一切ない。
そこで、1ヶ月の期間を設け、退去命令の通知を出したのだが、それにも全く反応がない。そればかりか部屋を訪ねると、郵便受けからチラシなどが大量にはみ出ている。
万が一ということもあるので、近くの交番に連絡して、警察官立会いの下、部屋の鍵を開けた。
誰もいなかった。荷物はそのままで、住人の姿だけが見えない。
郵便物の中には、借金やら公共料金やらの督促状のようなものが入っていたことから夜逃げではないかという話になった。
しょうがないということで、保証人である住人の親に連絡をしたのだが、(住人は30代の女性とのこと)娘とは長らく連絡を取っていないし、保証人のサインもしたことがない、とのこと。せめて荷物だけでも片づけてくれとお願いするが、そちらで処分してくれと一方的に電話を切られた。
そこでJさんたちの会社に連絡が来たのだという。
アパートに向かう途中で先輩社員のAさんがぽつりとつぶやいた。
「めんどくせえなあ」
Jさんがどうしたんすかと尋ねると
「普通の夜逃げなら、家財道具まとめて廃棄物処理業者に依頼するだろ。うちみたいなとこに依頼するってことは、なんかあんだろうなあ。たぶんゴミ屋敷かもな。」
アパートに到着すると、大家が待っていた。
Aさんは挨拶をすると大家に「どんな状態でした?」と尋ねた。
大家は
「いやね、別に何かあったっていうわけじゃないんだけどね。ちょっと普通じゃなくてねえ。お願いだからこのことは口外しないでちょうだいね。」
と気になることを言うではないか。
Jさんは覚悟して問題の部屋のドアを開けた。
すると部屋の中が真っ赤だった。
AさんもJさんも一瞬止まったという。
よーく見るとその正体がわかった。
なんと、部屋の壁という壁に、赤いインクだか朱墨で読めない字が書かれたお札がびっしりと貼られていたのである。
「なんなんすか。これ。」
思わず口にしてしまったJさん。
すると大家はまるで言い訳でもするかのように
「いや、何もないんだよ。過去に事件とかあった部屋じゃないし、変なものが出るとか言う話もないし。
ただね、気持ち悪くってさあ。いつもお願いしてる業者には頼めなくてねえ。」
とあえず、念のため、線香を焚いて、盛り塩してから作業に取り掛かった。
お札以外は別に何ともない女性らしい生活感のある部屋であった。
強いて言えば、電気が止まってらしく冷蔵庫の中身が根こそぎ腐っていて、その臭いがきついくらいだった、だそうだ。
Jさんが言うには、別に詳しい内容も分からないし、事の顛末も、後日談もないとのこと。ただ、玄関のドアを開けた時のあの光景だけは、はっきり言って背筋が凍ったという。
「いやさ、赤い部屋とか言うからさ。あの部屋、みんな知ってる話なのかなって、びっくりしたよ。」
そういうとJさんはウィスキーをぐっと飲み干した。