怖い話に「よく考えると怖い話」というジャンルがある。

「ウミガメのスープ」に代表される、オチを明確に記さず、
ぼかした伏線やフリと、
思わせぶりなオチで、
ハッキリと怖い描写をせずして、読者の想像力をもって完結させようという
手法である。

ネット上では、
「ウミガメのスープ」という物語が独り歩きされ、
謎解きのような話が乱発し、
「想像力を掻き立て恐怖を煽る」という本来の目的から逸脱し、
謎解き合戦に陥ってしまっていたが・・・

僕はこの手の話は好きである。

ところで、先ほどある洋画のタイトルを調べたくて
「娘が」とgoogleで入力したところ、勝手に下記の文章が全文表示された。

> 娘が鏡で遊んでいた。
> 娘が右手を振ると鏡の中に映った娘が同じように手を振るのが見え
> ほほえましかった。
> しかししばらく見ていると私は異変に気づき、すぐに鏡を処分した
(原文ママ)

「娘と鏡」という話である。

解説すると、
娘が鏡の前にいた。
主人公である父親に気づき、娘が父親に向かって手を振った。
すると、本来であれば鏡には娘の後ろ姿が映るはずなのに、
鏡に映っている娘も、主人公に向けて同じように手を振っている。
それに気づいた主人公は、鏡に恐怖を覚え、鏡を捨てようとしたのである。


検索していると、誰かのブログで
この話のどこが怖いのかという議論になっていた。

議論の主旨は、
鏡に映っている娘が手を振ったら、同じように鏡の中の娘も手を振るのは当たり前。
なのになんで不思議・怖い話なのか。

それに対して、鏡の中の映像は反転しているから、
娘が右手を振ったなら、鏡の中の娘は向かって左手を振っているはずなのに、
同じように右手を振っていたらおかしいではないか。

という議論。

作者の主旨、意向をまったく把握できていない。

かといって彼らがバカな訳ではない。

それもそうである。

本文を見ると、
娘は誰に手を振っているのかきちんと記されていないのである。
なので、娘が鏡の中の自分に対して手を振っているとも解釈できる。

であれば
現実の娘が右手を振っていれば、鏡の中の映像は左側の手を振っていなくてはならない。

でもこれは厳密にいうと、最初の疑問・反論にきちんと答えてはいない。

なぜなら本文では鏡の映像がどちらの手を振ったとは一切書かれていない。

娘が手を振ったら、
鏡の中の映像も同じように手を振ったと書いてあるだけである。

つまり、
鏡に映ったまま同じような動きを反転して投影した、という現象を、
同じように手を振った、と表現しているとも受け取れるのである。


つまりは、
本文が、不完全な文章なのだ。

この場合、

> 娘が鏡で遊んでいた。
> 娘は私に気づき、私に向けて手を振った。
> すると、鏡の中に映った娘も同じように手を振るのが見え
> ほほえましかった。
> しかししばらく見ていると私は異変に気づき、すぐに鏡を処分した

と、修正するだけで意味が通る。
かつ、直接的な説明も書いていないため、肝心な部分はぼやかすことができる。

このように文章を作るものは、一度読み手になってみて
推敲することが重要なのである。