人それぞれ考え方がある。
人それぞれの思いがある。
人それぞれの経験がある。
人それぞれの目論見がある。

1年前、大きな地震があった。
そして津波がたくさんの命と生活を奪った。
それはさらにたくさんの心の傷を残した。

僕もその一人。

だけども僕は恵まれている。
家族はみな無事で、今もこうして自分の家にいられる。

メディアは何を考えてか、惨劇の光景を垂れ流す。
その真意を、真摯を装った仮面で隠しながら
報道の義務、使命なんて独善的なことを建前に、
撮りためた、そして集めた記録を垂れ流す。

僕よりも、傷ついた人たちは今の状況を見て、どう思っているのだろうか。

少なくとも僕は
すごく不安な気持ちにさせられています。

きっとあの地震を経験した人たちはみな感じてるのではないでしょうか。
たび重なる余震に、
またあれが来るんじゃないかという恐怖を。

垂れ流される災害の映像は、
その恐怖感をよみがえらせ、そして深くする。

明日を信じられない、暗く、寒かったあの日々を。

ましてやあの津波を目の当たりにした人たちにはどうそれは映っているのだろうか。

確かに、僕らはあの災害を忘れちゃいけないし、
まだ終わらない震災に立ち向かうために、心を合わせなくちゃいけない。

でも一方では自己保身に走る人々。
それをあおり、責任、責任と誰かを責めたてるだけのメディア。

そんな人間のエゴを見せつけられる一方で、
全くリアルさを感じないきれいごとを垂れ流す。

傷ついた人々のために立ち上がった
多くの芸能人、ボランティア、企業のみなさんがいる中、
すごくメディアの対応だけが僕にはとても不快に感じます。

それは僕がひねくれものだからなのでしょうか・・・


今は、僕は、あの記憶を忘れる訳なんかない。
でも本当はどこかで忘れたいって気持ちもある。

それは人に喚起させられることじゃない。

クリスマスやバレンタインデーだから
それに関する話題や、イベントをむりくり流すような感じで
1年間経ったから、だから報道するみたいなことであれば絶対にしないでほしいし、
やるからにはそれが何かにつながるような取り上げ方をしてほしい。

独善的で、押し付けみたいな報道こそ
メディアによる被害者への虐待じゃないのかって思う。

朝から流されるそういった映像たちは
少なくとも僕には暴力にしか感じていません。

だから僕は楽しい映画を見るようにしています。

忘れたいのは、まだあの時のことが怖いからです。
そしてそれは絶対これからも忘れない。
ましてや大切なものを失っている人たちであれば。

忘れないようにって思っているのは
本当は何も失っていないから、
どこか他人ごとや記録としてしか感じていないからではないのでしょうか。

もちろんこれは僕の考えで、
他の被災者も同じように感じているかは分からないし、
こうした報道があるべきだと考えている人の方が多数派かもしれません。