さてさて、全行程の事を書き終わりました。

前回までのはみなさんに知って欲しくて書いてました。

 

 

 

 

 

 

ここからはいつもの自分のゆるーい感じのを書いていきます。

 

さて、何から書こう?

やっぱり沖縄の自然だよね。

 

多分生まれて初めて天の川をはっきり見たんだ。

地元も田舎だけど、それでもうっすらとしか見えないんだよね。

それが満点の星空の中に見えたんだよ。星の数も比べものに

ならない位でさ。ほんと感動して暇があると外に出て星空を見ていたよ。

あの星空は一生忘れないだろうな。

日々の忙しさの中でもあの星空を思い浮かべると気持ちが楽になるよ。

夜の浜辺に椅子持っていってずっと見ていたい。

来年行けたらそうしよう。

 

そして、着いた当日だったかな?

スコールにやられて、それが上がった後の二重の虹。これも綺麗だったな。

これは写真に撮ってあるんだ。

山の中だからこその景色の中の虹。

これにも感動した。

 

そして、3日目の午後からの自由時間は百名ビーチへ行ってきたんだよ。

神様の上がってきた海岸らしく、自然のままの景観でとても良かった。

俺海には走りには行ってたけど、海自体は数年ぶりなんだよね。

でもさ、ここに来て思ったよ。

 

海は良いね!!!!

 

ね、良いでしょ。

カメラマンしてたから勿論写ってない(笑)

この後は海に行ったんだけど俺は荷物番になって独りでノンアル飲んでいい年ぶっこいて拗ねてました(爆)

まあそれは良いとして、ここから少し離れたところの崖下を通り(上の写真のところ)

誰もいない海(by森高千里)に行きました。

 

途中で波にあおられパンツまで濡れましたよ。

でも、楽しかった!

この時だけ写真あります。撮ってもらいました。

言い訳するけど、裾が海面に付くから持ち上げてるんですからね。

そして撮ってくれた子も貼る(笑)だめだったら言ってね、削除します。

言うくらいなら貼るなよってね。

そして岩場に登ったのが居たんでそれをバックに記念撮影。

勿論カメ(略

何やっても縦にならないんだよね。

で首を曲げて見て!

 

とまあ楽しんできましたよ。

 

沖縄は良いねぇ。

観光でも来たくなったよ。

来年は観光で来られるように頑張って稼ごう。

 

実はまだまだ写真があるんだけど、貼ると俺のキャラが違うって言われそうだから

やめとく。

見たい人がいてもぜってぇ見せない(笑)

 

 

 

その2からの続き

 

さて、沖縄も3日目に入りました。

2日目の余韻を残しつつ今日も高江N1ゲート前に移動。

当日は8時に交代があると言うことで朝6時には着くように宿泊施設を

出ました。

やはり機動隊の封鎖が無いと到着が早かったです。

2日目の朝は封鎖のためおよそ1時間30分程度だったのが、3日目は

30分程度での到着になりました。

ちなみに各ゲート前にはやはり民間警備会社が立っていました。

 

当日のN1ゲート前は先日と違い、民間警備会社と機動隊が数名しかいませんでした。

やはり集会があったのと、当日が日曜だったから搬入作業がなかったからだと思います。

それでも写真の様に機動隊の車は数台停まっていました。

 

そして、夜に番をやっていた方とお会いして、それから宿泊施設に戻りました。

 

そして辺野古基地のテントへ移動したのですが、こちらは高江と違い4車線道路脇に

テントが立っていました。

その中に色々な辺野古運動の歴史が書いてあったり、日本全国からの有志の気持ちが

たくさんありました。

(すいません、元画像で直しても縦にならないです。)

そして、メインのテント(埋め立て予定地)へ移動したのですが、そこで活動を

行っている方に詳しく過去から現在までを教えていただきました。

やはり沖縄は日本なんだけど、主権は米国なんだとつくづく思いました。

1972年に日本へ返還されたけど、でも日本じゃない。この矛盾はなぜ生まれたのでしょうか?

色々な問題が絡むので、まだまだ勉強不足な自分には答えられません。

もし、今自分の住んでいる場所や地域に他国の基地ができるからって言われたら

どう思いますか?自分には耐えられないです。

 

おおよそ1時間辺野古で過ごし、その後那覇へ戻りました。

その日はホテルに泊まるので、いったんチェックインを行い各自自由時間となりました。

その部分は別に書きます。

 

そして、翌朝10時にチェックアウトをし、最終目的の『不屈館』へ。

ここは瀬長亀次郎、沖縄の為に尽くし祖国復帰の為に命がけで戦った方の

資料館なんですが、沖縄の第二次世界大戦で米国に接収されてから本土復帰までの

歴史がわかり、現在の沖縄がなぜこうなのかもわかります。

ちょっと写真主体で行きます。

まずは瀬長亀次郎さんの年譜です。最初にこれを見てから

続きを見てください。

 

色々と資料があり、戦中から戦後そして復帰までの道程の険しさを

勉強できました。個人でこれだけの事を行えるとは。

人間て信念を持った者が強いです。

8月21日にTBSで「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知ってますか?」

が放送されました。瀬長亀次郎さんに興味を持たれたら是非検索してみてください。

 

弾圧は抵抗を呼ぶ

抵抗は友を呼ぶ

『不屈』

瀬長亀次郎

 

 

最後に、沖縄というところはこういう面もあるんだと言うのを

知っていてください。

テレビではやらない真実を自分の目で確かめてきてください。

生きることの素晴らしさ。

自然の美しさ。

それを守ろうとしている人々の強さ。

暴力は憎しみしか生みません。

これからも俺は沖縄に行くと思います。

 

 

長々と沖縄の話を続けましたが、お読みくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

その1からの続き

 

そして、ゲート前に到着。

まず驚いたのは機動隊の人数ですね。

最初に見た人数より増えて、おそらく400名位には膨れ上がっていたと思います。

対する住民側はおよそ60名。

数で押すつもりのようです。それだけ国は活動を行っている住民を

恐れているのでしょう。

見てください。

これが数の暴力と言う物です。

この中に座り込むのが怖いと感じました。

この後続々と機動隊が集まり始め、最終的には600名程になったそうです。

何枚か写真をまとめて貼ります。

それを見てどれだけの事なのかを確認してください。

千葉、大阪と遠方からこれだけの人数を連れてくるなんて。

税金をこんなところに使うなって思いましたよ。

 

 

そして、集会の始まりです。

現在高江の置かれている立場。

どれだけ迫害されているのか。

自分の生きている場所を守っているだけなのに国から攻められている。

日本なのに日本ではない沖縄。

演説を行った方々の心が痛いほど伝わってきました。

たった数時間しか居ないのに人生観が大きく変わりました。

そうそう、演説で米軍海兵隊退役軍人の方々がいらっしゃいました。

このような方々も今の高江ひいては沖縄の置かれている立場を

愁いていました。

 

その後事情があり、N1ゲートから宿泊施設に一旦帰り、数時間後に

きたら状況が一変してました!

 

まずN1ゲートまで辿り着けなかった。

なぜかというと高江橋と言うところに皆移動してました。

そこで砕石搬入を阻止しようと車を置き待ち構えてたそうです。

でも、自分達が行った時には既に14時を回ってたので、15時まで待って

来なければその日は搬入阻止になるらしく、その嬉しさで皆歌い踊ってました!

もちろん自分達も車を停めその中に入っていきました!

皆の笑顔が綺麗でした。そして15時が過ぎその日は住民側の勝利で終わりました。

スクラムを組み、歌い叫び喜びを全身で表しみんな歓喜の笑顔でした。

 

関係ないけど、俺はこの時点で滝のような汗をかいていて、自分でもひきました(笑)

 

ほんと来て良かった。

 

この日はこれで解散となり、宿泊施設に戻りご飯を食べに行きそして就寝。

 

その3へ続く。