その2からの続き
さて、沖縄も3日目に入りました。
2日目の余韻を残しつつ今日も高江N1ゲート前に移動。
当日は8時に交代があると言うことで朝6時には着くように宿泊施設を
出ました。
やはり機動隊の封鎖が無いと到着が早かったです。
2日目の朝は封鎖のためおよそ1時間30分程度だったのが、3日目は
30分程度での到着になりました。
ちなみに各ゲート前にはやはり民間警備会社が立っていました。
当日のN1ゲート前は先日と違い、民間警備会社と機動隊が数名しかいませんでした。
やはり集会があったのと、当日が日曜だったから搬入作業がなかったからだと思います。
それでも写真の様に機動隊の車は数台停まっていました。
そして、夜に番をやっていた方とお会いして、それから宿泊施設に戻りました。
そして辺野古基地のテントへ移動したのですが、こちらは高江と違い4車線道路脇に
テントが立っていました。
その中に色々な辺野古運動の歴史が書いてあったり、日本全国からの有志の気持ちが
たくさんありました。
(すいません、元画像で直しても縦にならないです。)
そして、メインのテント(埋め立て予定地)へ移動したのですが、そこで活動を
行っている方に詳しく過去から現在までを教えていただきました。
やはり沖縄は日本なんだけど、主権は米国なんだとつくづく思いました。
1972年に日本へ返還されたけど、でも日本じゃない。この矛盾はなぜ生まれたのでしょうか?
色々な問題が絡むので、まだまだ勉強不足な自分には答えられません。
もし、今自分の住んでいる場所や地域に他国の基地ができるからって言われたら
どう思いますか?自分には耐えられないです。
おおよそ1時間辺野古で過ごし、その後那覇へ戻りました。
その日はホテルに泊まるので、いったんチェックインを行い各自自由時間となりました。
その部分は別に書きます。
そして、翌朝10時にチェックアウトをし、最終目的の『不屈館』へ。
ここは瀬長亀次郎、沖縄の為に尽くし祖国復帰の為に命がけで戦った方の
資料館なんですが、沖縄の第二次世界大戦で米国に接収されてから本土復帰までの
歴史がわかり、現在の沖縄がなぜこうなのかもわかります。
ちょっと写真主体で行きます。
まずは瀬長亀次郎さんの年譜です。最初にこれを見てから
続きを見てください。
色々と資料があり、戦中から戦後そして復帰までの道程の険しさを
勉強できました。個人でこれだけの事を行えるとは。
人間て信念を持った者が強いです。
8月21日にTBSで「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知ってますか?」
が放送されました。瀬長亀次郎さんに興味を持たれたら是非検索してみてください。
弾圧は抵抗を呼ぶ
抵抗は友を呼ぶ
『不屈』
瀬長亀次郎
最後に、沖縄というところはこういう面もあるんだと言うのを
知っていてください。
テレビではやらない真実を自分の目で確かめてきてください。
生きることの素晴らしさ。
自然の美しさ。
それを守ろうとしている人々の強さ。
暴力は憎しみしか生みません。
これからも俺は沖縄に行くと思います。
長々と沖縄の話を続けましたが、お読みくださりありがとうございます。











