今日は
なんだか暑いっすっ
こんなグダーッと暑い日は気合を入れてバリバリ気合の入った食べ物を食べるのが1番!
ということでお昼に食べに出かけたのが
平岸にある「シャカリキ」というラーメン屋さんです。
券売機で味噌を買って着席。
家系ラーメンは提供の直前にトッピングを聞いてくるのでここは気合バリバリ入っているので 店員さんにバリバリに伝えてやりましたよ!!
「あっ、全部普通で」
普通の量をドヤ顔で注文してやりましたよ
ワイルドじゃないだろ〜ってきたのがコレ!
それでも腹ペコマスターはペロリと食べてやりましたよ! 腹きつい!
その後、今日の宴会の為の食材を買いまして準備万端です。
今日も頑張ります!
それでは歴史クイズの正解発表!
高杉晋作でした。
当時の長州藩は京都での政治闘争(八月十八日の政変)にも敗れて禁門の変でも敗北し朝敵となっていた時で
また時期悪くして下関戦争の報復でアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国連合艦隊が下関を砲撃占拠されるという。
長州藩vs日本全国&4カ国連合艦隊と完全に終わったという状況。フルボッコ
この状況で高杉晋作は4カ国との講話会議にて不利な条件を一部受け入れたものの「彦島の租借」に対しては頑なに拒否!
これは清国の見聞を得ていた晋作は、これは植民地化の常套手段と分かっており、後に通訳を担当していた伊藤博文は「もしこの要求を受け入れていたら日本の歴史は大きく変わっていた。彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていた」と述べたという。
そして第一次長州征伐が迫る中、幕府に恭順止むなし「俗論派」の勢力が強いので一時福岡に避難していたが機を見るや一気に倒幕を目的とする「正義派」の奇兵隊
を率いて藩の実権を握る。
とうとう藩の実権を握った晋作は第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として指揮をとり幕府軍を敗北させるに至り幕府権威は失墜し翌年1867年11月の大政奉還に繋がっていく。
その後肺結核により1867年5月17日に死去。享年29歳(満27歳没)
いやー本当に昔の偉人はとにかくスゴイの一言ですね。
たった27歳でこの偉業!
のちの初代総理大臣になる高杉晋作の弟分だった伊藤博文はこう評しています
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
明治の偉人たちの続編も乞うご期待!
今日は週末サービスは特にありませんがご来店心よりお待ち申し上げております