「待ってました健様!」病、発症
私は「健さん」とは、呼ばず「健様」と呼ぶ!
その昔、飲み屋でお隣になった郵便屋さんと、フトしたはずみで、「高倉健話」で大いに盛り上がった際に、その方は、勿体無くて“健さん”とは呼べず、「健様」と呼んでいる!と仰った。
それを聞いて以来、私も改心し「健様」と呼ぶ。
かれこれ40年位前の話。
此の病に罹患したのは、50年以上前にはなるのか?
何時もの様に、プロレス狂の私が、ホテルニュージャパンでの週末(金曜日か土曜日?)のルーティンワークを終え、赤坂見附駅へ向かうべく、赤坂東急プラザの「英国屋」さんの前を通り過ぎた際に、後ろのお店のドアが開く気配がし、「それでは月曜日迄にお願いします!」との、低く響きのある男性の声が聞こえ、振り返ると、そこにその人が居た。
衝撃だった(驚)
正に、雷に打たれた様。
何とも例え様が無いのだが、、、真っ黒に陽に焼けた(ドーラン焼け?)精悍な顔立ちの引き締まった長身を、濃紺のスーツで包み、店長らしき方の挨拶を受け、颯爽とあの歩き方で、去って行った、あの方。
イヨ~~待ってました“健さん”否「健様」~~
名前なら、その映画を観て無くとも日本国民なら誰でも知っている。
色々とコマーシャルでも見かけるし。
でも、その画面スクリーンから抜け出て来た本物は、、、もう、雷だった!!!雷神かい?!
共感ではなく、全身が避雷針になって共鳴した、打たれた。
こんな大人、周りで生まれてこの方、見たこと無いゾ。
衝撃で、その姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送った。
あのブラックスーツの下の背中には、唐獅子牡丹か、お不動様が住んでいらっしゃるのか、、、
そのワクチンも打ってなかった10代の子供の私は、瞬間的に「高倉健様病」に罹り、以来50年以上治癒していない患者だ。
その時、返す刀で、余り間を空けず、東映の東京の大本山「丸の内東映」で、確か「網走番外地?
」だったか「新・網走番外地?」か。
シリーズの何か1作を、初めて健様映画を観た。
(二本立てで、もう1本が、池玲子か杉本美樹だったかのポルノだったので、東映も、もうそんな時期だった。)
<訃報報道直後の丸の内東映・東映会館2014年11月19日(水)>
以来、封切り館での上映は勿の論、東京23区に都下に神奈川や首都圏一円の名画座を訪ね、出来得る限り彼の方の映画を、3本立てや特集上映etc,,,映画館で観て来た。
(致し方なく、ビデオでしかもう観られない物も含め。)
ある映画館では、今では信じられないが、タバコの煙モウモウで、私は購入持参のホカ弁を周りからスモークされた様な状態の中で食べ、観る。
そして、健様が悪をなぎ倒すシーンへ向かうと、歌舞伎の舞台の様に「いよ待ってました健さん」の声が掛かる!し、一緒に唐獅子牡丹や網走番外地を口ずさむオッサンもいるし、最後は皆で拍手!って、此れ話を作って無くて、本当のリアルなこと。
あの熱気って何だろう~~、あの時代を、あの空気を味わえただけでも幸せ!!!
「健様」の、その位置は、私にとってはもう、殆ど神の領域に近いのだが、、、
さて、この方を同じ土俵で語ると、真言宗のご関係者に叱られるかもしれないが、私の大ヒーローの一人に弘法大師空海様もいらっしゃる。
我が家は、代々曹洞宗である。
でも、当時健在だった頃の親や家族の許可を得て、その後、その両親を真言宗智山派の葬儀で送らせて頂いた。
で、この空海様とのご縁は、学生時代の古美術研究会の仏像を愛し始めた頃からではなく、つきあいは、その後の司馬遼太郎先生の「空海の風景」に始まる。
で、そこに話が行くと、一日が終わってしまうので、そこには今は触れない(笑)。
成田山新勝寺さんとは、40年を超えるお付き合いを頂いているが、勿論、その出会い&きっかけは弘法大師空海様です!と当然答えるべきだが、、、実は違う。
此れは本当は詳らかにしなくても良いのだが。
実は「健様」だ。
そして、いや~~又また出て来るもう一人の神様のミスター&「健様」。
★AI による概要
高倉健と長嶋茂雄は、成田山新勝寺で一緒に初詣をするなど、親しい関係でした。特に、高倉健と長嶋茂雄は、大晦日の夜に成田山で除夜の鐘を聞きながら、親交を深めていたようです。
高倉健と長嶋茂雄の親交は、石原裕次郎を介して始まったとされています。長嶋茂雄は、石原裕次郎から「シゲ」と呼ばれ親しまれていました。
成田山新勝寺は、千葉県成田市にある真言宗智山派の大本山で、初詣の時期には多くの参拝客で賑わいます。高倉健と長嶋茂雄が一緒に訪れたのは、除夜の鐘を聞きながら新年を迎えるためだったと考えられます。
高倉健は、1975年1月19日号の雑誌で、長嶋茂雄と成田山で初詣をする姿がキャッチされています。
↑ 高倉健と長嶋茂雄と成田山新勝寺と入れると、ネットでは上の様に出てきた。
そう、何と不謹慎なのか、40年以上も続く成田山詣でのスタートは、実は「健様」なのだ。
健様が初詣へ参る寺なら、行きたい!が、スタート。こいつ、ただのミーハー小僧~~。
<集英社オンライン様2025年06月05日の記事をお借りしてます>
そして、ミスター。
もう、これは役満が二つ。W役満だ。
そこが、空海様の真言寺となると、トリプル(笑)
あれから40年以上、もう健様はいらっしゃらないが、きっかけは兎も角、もう自分には無くてはならない崇敬寺・成田山新勝寺。
健様とは、あの日以来数回お会い出来ている。
と言ってもばったり居合わせて、すれ違うだけだったが。
場所は、品川のホテルパシフィック。
銀座から此処へ移って来た、健様御用達「バーバーショップ佐藤」さんがあった。
高倉健が時間を過ごす場所といえば、品川駅前にあったホテルパシフィックの「バーバーショップ佐藤」だった。 バーバーショップ佐藤のマスターは佐藤英明さん。 三島由紀夫、佐藤栄作元総理をはじめとする著名な人たちが佐藤さんの顧客だった。 高倉健もまたマスターの技術と誠実さを愛し、長年、通っていた。2022/12/10『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さん。
■伝説の理容室にあった「高倉健専用の個室」
そして、ホテルパシフィックの地下の駐車場には、健様の車が常時何台も停めてあったので、そのお姿は幾度となくお見かけもした。
が、何も言えない。
「あなたのファンです!」位、一度でも口にしたかった。
でも、言えない。ダメ。口が乾いて、金縛りにあったようになり、気が付くともう、通り過ぎていた。
でも、だからいいんだ、だから健様。
これ程の偏愛ファンと自負していながらも、「健様」が、会津八一を愛し、何と最後の出演作の、映画「あなたへ」の台本に、八一の法隆寺の救世観音を詠んだ作品「あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ」の歌が書かれていたことを、生前は知らなかった。少し悲しい~~。
<法隆寺の救世観音>
<私の台本/申年は真似も上手い>
「高倉健様病」に罹り、以来50年以上治癒していない患者。
けれど、この病気、けして治したい病ではない(笑)
但し、あまり熱くなったり、突っ走らない様に、要所要所でブレーキを掛けたり、息抜きをしたり、と適度に適温で付き合う病でありたい。
<何時もシステムダイアリーに挟んである鑑賞券>
<没後10年展 「高倉健に、なる。」2024年11月16日(土)>
さて、本も、引っ越し前の苦い経験から、誓った事がある。
新居では、本を増やさない。
歩く場所を遮る様な、買い方をせず、部屋を風通し良く爽やかに過ごす。
1冊購入する際には、1冊要らない本を処分する意気で。
下は、旧居時代に大人買いで、一気に10冊購入した時のショット。反省。
<2018年03月14日(水)紀伊國屋書店@さいたま新都心店にて>
さて、今回、無いだろうとは思いつつも、捜している本があって、ダメもとでBOOKOFFを覗いた。
案の定、なかったのだが、そこで事件発生。
「健様」の本が揃って出迎えてくれた。
ムムム、我慢我慢と、息を整え、いいか、買っても1冊だ!
駄目だよ駄目、、、。
と、思いつつ、、、気が付いたら4冊を手に建物を出ていた。
紀伊國屋じゃあないし、少し安く購入出来たし、買わないと精神衛生上悪いヨ。と、自分に言いきかす。
此れって、よく聞く「中毒患者」の言い訳の常套句だ。
部屋の中では、又、ジワリと積読本が増えつつある。
ああ~~寛解とは成らず、「高倉健病」再発発症也。