【九朔手帖】
私の誕生日は、九月朔日(一日)、クッピン
そう、文字通り九朔である。
<会津八一先生>
私の話によく出てくる、新潟の生んだ奈良学の祖にして、美術史家・歌人・書家として活躍されたのが会津八一先生。
此の方は、本名は会津八一ですが、歌を書を認め作る書く等、その時々で雅号の秋艸道人(しゅうそう どうじん)や渾斎(こんさい)の名になります。
10代~から、50年に及ぶ付き合の、大好きな秋艸道人ワールド。
申し訳ございません、引っ越し後、荷をほどいてません💦(;^_^A
私を導いて頂けた、恩人にして恩師のお一人。
伴(友)として、手にし、南京(なんきょう)の町を何時も一緒に巡ってくれた歌集『自註鹿鳴集』は、日に焼け、今はもう黒くボロボロ。
今は、本を手にしなくてもスマホで事足りてしまう寂しさ、、、
“かすがの の よ を さむみ か も さをしか の まち の ちまた を なき わたり ゆく” 秋艸道人
<奈良学を学ぶ若者の学生寮と云われた、先生の定宿「日吉館」の庭にあった歌碑の拓本>我が宝もの
さあ、
前置きが長くなりましたが、ここからが本題。
会津八一先生、何と1881(明治14)年8月1日生まれなんです(笑)
ここまで、普通は「8」と「1」が並ばないゾ(苦笑)
やり過ぎ、出来杉良太郎~~。
そこで、
名前をそのまま「八一」と命名するのも、或る意味凄~い(爆)
さて、
この名前「八一」に惚れました!憧れました!!
それで、八月一日の「八一さん」、それに倣い、いつか使おう!!!と。
それなら、九月一日生まれに一捻り加えて、九朔(キュウサク)で行こう!!!!と。
そして、
群馬の生んだ巨人、「日本近代詩の父」
1886(明治19)年11月1日・朔日に、長男として生まれ「朔太郎」と命名された、
<萩原朔太郎>、もチョイと入れてます(笑)
そして、
「鹿男あおによし」で出会ってからの大ファンを自認する
<万城目学(まきめ まなぶ)先生>の作品、「バベル九朔」も入ってます、ハイ。
以上
<会津八一先生>
<萩原朔太郎>
<万城目学先生「バベル九朔」>
こちらの3名の合わせ技一本で、「九朔」
どうでも何でもイイ事に、意味の無い拘りを持つ、何時もの私。
そして、「九 朔」 の 仲間
我がベイ(横浜DeNAベイスターズ)のエースにして“投げる哲学者”、の異名をとったのが、今永昇太
<―2023年8月22日 (火)―>
彼は、1993(平成5)年9月1日生まれ。
そう、「九朔」
その“投げる哲学者”の昇太が、いま海を渡りそのトークセンスを開花させている(笑)。
今永の爆笑トークに、SNS上からは
「天才」
「今永先生愛されすぎw」
「スベらんなあ」
「さすがすぎる」
「1年前のネタを伏線回収w」
「質の高い投球とジョークの二刀流」
「人気もっとスゴいことになりそう」
といった様々な反響が巻き起こっている。
翔平とは違った二刀流から、今、まさに目が離せないゾ
「昇太」
さて、
忘れてはならない人が、もう一人いる。、
彼は、1991(平成3)年9月1日生まれ。
そう、「九朔」
それも見事なる「1」と「9」の並び
おまけに何と、名字までに「9」がつく。
彼の名は「九里亜蓮」、広島から今年新天地オリックスへと移籍した選手。