ひろゆきさんじゃないけれど、世界は99%はバイアスでできているのか❓
「女の魅力」があることで、美しい女性はより得をしている❓
脳科学者の中野 信子さんの研究ではどうだろうか❓
【1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部応用化学科卒業。同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務後、帰国。現在、東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授。テレビ番組のコメンテーターとしても活動中。】
🔻「女の魅力」と「才能」とは両立しないと思われている
🔻外見の良さは女性が高給の事務職で雇用される場合には有利に働くが、管理職として雇用される場合には不利になる
🔻美人は他の人よりも、人間ではなく記号やモノとして扱われる傾向が強くなる。すると、部下や一兵卒としては良くても、管理職やビジネスパートナーとして適任であるとは思われにくい
🔻克己心にあふれ、努力できる人であればあるほど、誰かと一緒に生きていくのは骨が折れるはずだ。女性側がそうしたパーソナリティを持っているなら、どう見積もっても自分ほどは頑張れない、能力に劣る男たちをどう扱うか思い悩む
中野さんも、今の社会的地位に到達するまでに、
様々なテストステロンから来ると思われる男性からの扱いを潜り抜けてきたのだろう。
この記事には「女であるということから来る、あからさまな好奇の視線、差別以前の、モノ扱いされる感覚、視姦してくるかのようなしつこい視線。少なくとも、お説教をする快楽を搾取されているのは女側がほとんどだろうと思う。これに抵抗すれば生意気だ、といわれ、女のくせに子どもを産まないのか、結婚をしないのか、旦那の仕事は、などと男の負け惜しみが始まるわけだ。」と書かれている。
たぶん、このような状況を複数回経験してきたのだろうと思う。
そして、男性目線で困るのは、
男の負け惜しみを“パワハラ・モラハラ”と言われることではなく(これは言われて当然)、
仕事ができない指摘に同じように“パワハラ・モラハラ”と言われ、周りに混同されることだ。
“才色兼備”という言葉は昔からあるけれど、それを正当に評価されることは稀なのかな。
美人は美人の苦労や悩みがある。
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