完全無職、ミドフィフでアーリーリタイアした崇徳院ヴェストです。
しかし、今、生活費(住宅ローンを含む)以外に車や旅行にお金をかけても、
純資産額が増加していることをちょっと気にしています。
何故なら、旅立つときに資産をゼロにするのが、
崇徳院ヴェストの最後の「死ぬまでにやっておきたいこと」だから。
この頃、なにかとFIRE(Financial Independent Retire Early)が取り上げられますけど、
崇徳院ヴェストとしては、非常に違和感があります。
その違和感とは、この記事の経済コラムニストの大江英樹さんが書くように、
“早期リタイアすれば、いずれ必ず飽きる時が来る。”とか、
“仕事が楽しみになるということが人生で最も幸せなこと”とか、
“納得できない仕事はやりたくないから、会社を辞めて他で自分のやりたい仕事をやる”とか、
グダグダと、承認欲求の為、“仕事”を通して社会にしがみつくことを
並べ立てること。
このような「自我の確立が他己依存」に、崇徳院ヴェストは異論・反論。
どんな人でも、自分の思い通りになることなど高が知れている。
つまり、やりたい仕事をできるとしても(お金(収入)をもらう限り)、
何もかも自分の自由ではないしがらみがあるということ。
結局、
自分の社会的地位や、自己承認欲求を、
他人に頼らなければならない人達の戯言
にしか思えないのです。
完全無職になってから、本当にやりたいこと計画が無いとも言える。
FIREは手段であって、目的ではない。 無計画ではね。
自分自身のメンタルの弱さを自覚できないのかな。
仕事を介してしか、世間と関係が築けない偏った、そして自分自身を確立できない人格。
だから、大江英樹さんのように、「人生の最大幸福は職業の道楽化にある。」という考えを、
他人に押し付けるのはどうだろうか。
それから、収入ある仕事をするなら、FIREのリタイア・アーリーじゃないですね。
それに、職業を道楽とまで言うのなら、すべて“無報酬”、“ボランティア”でなさるんでしょうか
お金の見返りがあるということは、客の言うことを聞く責任と義務がありますからね。
だから、それって、本来のFIREではありません。
つまり、資産形成に成功した人というだけ。
それに、人それぞれの幸福感は違うのでね。
崇徳院ヴェストは、誰にも縛られない、しがらみを無視できる生活を、FIREから得たいのです。
こんな、他人に自分の意見を押し付ける経済コラムニストって、
どんな経済を夢見ているのか、怖いです。 (単なる負け惜しみにしか見えませんが・・・)
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