喜怒哀楽、感情がない人生はないと思う。
ひょっとすると、それが生きている印であり、意味であり、
一番の(人生)評価なのかもしれない。
ただ、人は自分は正しいと思い、自分の観点からしか社会が見えない。
私もその一人。
幸運にも、ある程度年齢を重ねるまで生きていると、
その終着点までのことを考えるようになる。
生活感で言うと、老後資金は のような。
そんなことを、社会の目で俯瞰したと想像すると、
私は、自分の生きる価値と、社会で生き残る価値が乖離していくと思う。
どんなカタチ(正・負、善・悪)でも、社会貢献ではある。
そして、望まれる・ない社会貢献がある。
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