ありふれた日、ある一日。
出会う人達も、ただ普通に見える。
それでも、それぞれ苦しみを抱えているのだろう。
生まれて間もない赤ちゃんくらいは例外か。 いや空腹は苦しみかもしれない。
どの苦しみの方が大きいとか、誰の苦しみが辛いとか、比較することに意味はない。
それでも、両親を亡くした子供の苦しみは想像に難くない。
五体満足でない苦しみは想像を絶するかもしれない。
自分が苦しいとき、苦しいと訴えたり、苦しくなんかないと強がったり、その感情を無視したり、
苦しみが薄まるように、意識して、ときには無意識に反応している。
そして言い訳、自己弁護。 なんと弱いんだろう。
他のことで埋めることなどできない。 何かで紛らわすことしかできないのか。
誤魔化しは誤魔化し。 何も解決しないし、時が解決しないこともある。
いや、時が経てば大きく、深くなるものもある。 きっと、自分を責め続けている。
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