祖母(母方)が亡くなって明日で一年になります。
祖母は勉強はできず、全く語彙力がなく、理解力もかなり乏しい。言い間違いは当たり前、私たちの話も勘違いして一人でにキレては自分の部屋に閉じこもる。子供のような人でした。
ただ祖母はとても器用で仕事が綺麗でした。
水回り系の家事は早くて水滴一つなく、洗濯物も綺麗に畳み、タンスの中もいつもスッキリ。
アイロンも裁縫も上手で、私と母は大人になっても注意され指導されていました。
そんな祖母とは25年以上同居していました。
ですが、祖母とは本当に家族なの?と思うくらい子供のころから馬が合わなくて嫌いでした。きっと祖母も私のことは好きではなかったと思います。何かと弟を可愛がってましたし。
何度も喧嘩して、大人になるほどにエスカレートしていました。
年寄り扱いするなと言いながら、時には年寄りなんだから!と逆ギレ。
昔から活発的な人でした。
祖母はシングルマザーだったので、母は祖母と同居することを条件に父の地元であるこの街に家を建て結婚しました。
ところが想像以上に田舎だった為絶望した祖母は死ぬまでここに連れてこられたことを悔やんでいました。
車がなければコンビニにも行けない。
今はバスも通っていない。
都会を転々としていた祖母には耐えがたい生活で、母と喧嘩する度にその事をぼやいていたそうです。
母も亡くなってからは特にそのことを後悔しています。
また几帳面な祖母はガサツで無神経過ぎる父の言動が気に障り毎日のように陰口を言っていました。
娘の私も未だに毎日気に触りますが、それでも親ですので、いくら祖母とは言え毎日同じ父の愚痴を耳にすると腹が立ちます。だって毎日同じなんですもの。
そのことでもよく衝突しました。
そんな祖母は亡くなる四年前に乳がんにかかりました。
幸い30分圏内にがんセンターがあり通院することになりました。
それを機に私も最初の職場を転職しようと思っていたので、転職し出来るだけ通院に付き添えたらと考え転職。
結局通院に付き添えたのは最期の一年くらいでしたが。。
手術は2回しました。中々合う抗がん剤が見つからず、試しては体調を崩し ほぼ寝たきりになり、肺炎にもかかりました。
そんな中でも元気な時は大好きなお寿司を食べに行ったり、買い物に誘うようにしました。中々わがまま なので嫌がることも多々ありました老人ホームなどに行くのを拒むほど人見知り(には見えないのですが 本人はそう言っていた)なので、外との繋がりがないので 何か気分転換が出来ればと外に出られない時はお取り寄せした美味しいものを食べたり、どこか出かければお土産を買ったり。
そんな感じで何とか祖母との関係を保っていました。
亡くなる1週間前も急に体調がぐっと悪くなり高熱を出しました。病院に連絡すると、ロキソニンで様子を見てほしいとのことでした。
翌日には熱は下がったのですが、その日の夜トイレに行こうとしたところ愛犬の嘔吐物があったみたいで踏んでしまった祖母。その後体調が悪い中掃除したそうで それが死の要因の一つとなりました。
翌日の早朝、私のスマホに祖母から連絡があり
慌てて一階に降りると口が渇いて仕方ないとのこと。
これは明らかにおかしい。
早朝の犬の散歩から帰ってきた母に事情を伝えると様子を見ると。
私は心配しながらもそのまま仕事に向かいました。
実はその週に元々病院の予約が入っていました。
私はそれからも何度も母に病院に行った方が良いと伝えました。私は丁度職場は人手不足な上に先輩が長期有休で休める状況にありませんでした。
母はいつものことだと思って結果として予約日まで待ってしまいました。祖母も動けないから病院なんて行けないと言っていたそうです。
予約日当日。
もうトイレにも自力で行けない。
弟がおぶり 車に乗せ、早朝に病院へ。
すぐに検査、点滴をしましたが伝えられた結果は敗血症でした。
抵抗力が下がったところに、愛犬の嘔吐物に触れた事で細菌が入ったのでは とのことでした。
病院に着いた時には細菌が全身に回り多臓器不全を起こしていました。
抗生剤が効かなければ、2、3日がヤマだと言われました。
酸素が体に入りすぎて過呼吸のような苦しそうな粗い呼吸。
苦しい?と聞くと首を横に振るけど、明らかに苦しそうで。
冷え性で指先が冷たい祖母なのに。
体はどんどん温まっていくのに。
下がっていく血圧。
祖母はその日の夜に亡くなりました。
さまざわな想いがとてつもない勢いで襲ってきました。
悲しみ、怒り、後悔。
1番は母への怒りが大きかった。
あんなに病院に連れて行ってって言ったのにっ
と腹が立ってしかなかった。
いつも母は大事なところで選択を間違える。
でも、一人っ子でもう父もいない 母を責めるわけにはいかない。ここで母まで倒れてしまったら…と思うと責めるに責めれなくて葛藤しました。
それから同じくらい恐怖を感じていました。
人があんなにも苦しみながら亡くなる姿を初めて間近で目の当たりにして今までにないくらいの死への恐怖が襲ってきました。
祖母を連れ帰宅し、早朝。
お線香の煙たさと恐怖で過呼吸を起こしました。
家に居られず車の中で数時間過ごしました。
それから毎日遺影の前で泣きました。
不思議とあんなに祖母が嫌いだったのに笑う祖母しか浮かんでこないんです。
ごめんね、ごめんねと謝ることしかできない。
母もずっとずっと後悔しています。
毎日毎日様々な感情が交錯して潰されそうになりながらなんとか仕事や生活をしていました。
祖母が亡くなって半月過ぎたあたりから
調子が悪くなり始め、今に至ります。
未だに体調は優れません、とてつもない死への恐怖がぬぐえません。
この一年、すごく長かったような気もする。
一方であの日ことを記憶力のない私が昨日のことのように鮮明に覚えている。
忘れられない、忘れるはずもない。
亡くなる2日前は祖母の誕生日でしたが
仕事に追われすっかりわすれていました。
今日は大好きだったお寿司をお供えしました。
祖母はどう思っているんだろう。
私たちを恨んでいるかな。
愛犬のことはとても可愛がっていたので死因が愛犬にあったとしても愛犬ことは恨まないはずだけど。
早く病院に連れて行ってあげられなくて、優しくしてあげらなくて本当にごめんなさい。
でも、どうか母のことも許してあげてほしい。
どうか安らかに眠っていて。
人はどうしても失う前に気づけないことがある。
報われない想いがある。
だけど、伝えること、出来ることは少なからずある。やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいです。
若くたって、歳をとっていって、元気だって、事故に遭うかもしれない、殺されるかも知れない、突然病に侵されるかも知れない。
悲しいけどそんな世の中です。
一秒先、何があってもおかしくないんです。
だから私は遺書を用意してあります。
亡くなってからでは何も伝えられないから。
必要な事は伝えておきたいから。
どうか皆さんも、可能な限りこの瞬間を大事に生きて、しっかり伝えて、しっかり残して、なるべく後悔のないように選択して下さい。
答えなんてないだろうし、迷ってばかりかも知れないし、いつか後悔するかも知れないけど。
今出来る事を最大限やり通せたらきっといつか納得できるかも知れないから。
どうか皆様の人生に幸多からんことを。