私は田舎で生まれ育ちました。当時は民放のテレビ局が1局しか映らないところでした。そして父の転勤で移り住んだところはNHKしか映らないところでした。

学校から帰ると宿題ではなくて野良仕事の手伝いでした。畑を耕し、野菜を作る。肥料は堆肥を近くの農家から余りを分けてもらい、それこそ兼業農家でした。野良仕事が終わり、父と家に戻り、夕食です。野菜の大半は自給自足で、作ってないのは米ぐらいのものでした。

北の寒い地方でしたので米作の北限より北に住んでいました関係で、米は近くにはありませんで、当時は米は米屋にしか売っていませんでした(今はスーパーでも変えますよね)。

そんな育ちをしたのですが、私の親の教育は誰にも負けるな「一番になれ」ではありませんで、「お前しかできないことがある」が父親のくちぐせでしたね。まさしく、オンリーワンの考え方の重要性を私は子供頃から父親から聞かされ、勉強は当たり前に学校ではしました。

成績は良くなく、テストも、「半分も点がとれればいい」といわれて育ちました(笑)。

今なら考えられない親の教育でしょうが、私は現代のこの世の中、いくら偏差値が高い大学を出て、政治家になっても、国民の為のまともな議論すらできず、時間だけ費やし、国を動かせない方々をみるにつれて、この国の教育の根本的な間違いに気が付かせられます。

彼らは政治家になるまでは頑張りますが(もちろんすべての政治家がそうだというわけではありませんが)、国民の為に何をしているのか、全く見えてこない。これはもう過去何十年も同じ政党が政権を握っていてもそうでしたが・・・。これらは他の人より頑張って勉強して、他の人よりレベル(この場合は偏差値)の高い大学へ進む。ここで終わっているのです。大学へ行ってもそのほとんどが遊んでいる。議論の時間もないに等しい。そして卒業して色々な仕事に進む。会社でもやはり出世というレースでこれまた同じように、つまり、すべて他と比べて競争なんですよね。おまけに自分との違いを認めない人間を生み出すのです。したがって議論にならない政治家を輩出することになる。政治家になった時点で満足しているといわれても仕方がないですよね。国民の為に何をするかが大事な話です。

高度経済成長期の時代と異なり、これからは人との競争社会は社会を駄目にします。その競争についていけない人や一定の基準に達しない人は虐めに会うことが多い。そして年間3万人以上の自殺者を出す国になったのです。

この国がオンリーワンを認める教育をしない限り、駄目になるところか、国際社会にも通用しなくなります。実際もうそうなってきているではありませんか。オンリーワンを認めたうえでの競争ならまだいいのでしょうが。

学校教育でも、昔はある子供は勉強は余りできないが、木登りが得意とか、絵が上手いとか、体育だけは得意とか、音楽だけは得意で好きだとか、歌うのが好きだとか、声が大きく返事ができるとか、性格ががいいとか、キャラクターが面白いとか、とにかく、昔の先生は、そういう目線で子供を見てくれた。つまり、これこそオンリーワンじゃないですか。

教育は本来そうあるべき。この国は何よりも教育はそこにもどるべきだと思います。