パパとの馴れ初め② | 大嫌いな君へ

大嫌いな君へ

2019年1月
結婚3周年を迎えてすぐに
旦那は私と2歳の息子を残し、
26歳で人生を終わらせました。

行き場のない思い。
苦しみ、悲しみ、憎しみ。
立ち直る為に書いていきます。

同じような思いを抱えた方と
繋がっていけたらと思っています。

パパと付き合ってから3ヶ月後

私は地元で一人暮らしを始めた。


もともと親と暮らすのは

性格的に合わなくて束縛されない

自由な暮らしをしたかったから。



そこからはパパに合鍵を渡し

いつでもパパと会える生活になった。


金曜日の夜から日曜日まで

ほぼ週末は半同棲のような感じ。


自由にパパとの時間を過ごした。


職場も近かったので

仕事終わりに食事に行ったり

パパにお弁当を届けに行ったり。



色んな所に連れてってもらい

たくさん美味しいものを食べたり

本当に充実した独身生活だった。


夜遊びもしたし遠出もしたし

旅行にも行ったし本当に自由だった。


そして本当に楽しかった。




記念日ごとにパパは

私にプレゼントをくれた。


パパに貰った物で生活していたくらい

私の私物はパパで埋め尽くされていた。


本当にパパは私に時間もお金も

心も全てを捧げるように尽くした。



あまり物を買えない私は

記念日ごとにパパにお菓子を作って

プレゼントするのが恒例になった。


パパは残す事なく全て食べてくれた。






限界を感じて転職をした時も

パパがずっと隣で支えてくれた。

そして現在の会社に就職した。


退職届を提出してアパートに帰ると

パパは料理を作って出迎えてくれて

「お疲れ様」と言って抱きしめてくれた。


本当にボロボロになって

転職を覚悟して転職するまで

パパには支えてもらったなと思う。




シフト制の不規則な生活から

転職して土日休みの規則正しい

一般的な生活に戻った。


休日もパパとほぼ同じ。

ますますパパとの時間が増えた。








クリスマスの日に

義母に私を紹介してもらった。


本当にパパのように

カラッとした話しやすい人。


「まだ子供は作ってわがんねーぞ!」


そう言ってお腹を押さえられた。




一人暮らしをしている時も

よくパパの実家から野菜を

貰ったりとしていた。




パパと私の記念日に

義妹が私とパパの似顔絵を描いて

プレゼントしてくれた。





付き合って2年が経った頃に

義祖母と顔を合わせる時があった。


「俺のお嫁さんになる人!」


耳の遠い義祖母にパパが

私の事を紹介してくれた。






付き合っている時から

私には少しだけパパに不満があった。



私は自分の実家にパパを呼んだり

両親とパパを会わせたりして

オープンな付き合いをしていたけど、


パパは私を自分の実家には

連れて行ってくれなかった。


「家が古くて幻滅されたくないから」


たしかにパパの実家は古くて

農家で牛もニワトリも飼っていて

まだお風呂に関しても薪風呂だった。




だけど私はパパとの将来を考えて

結婚する時に初めましての関係でなく

ちゃんとパパの家族と交流してから

結婚できたらいいなと思っていた。




結局付き合ってる時は

義父と義祖父と義妹には会えなかった。




パパの実家の家庭が

いかに家族のコミュニケーションの

取れていない家だと気付いていても

後にそれが悪い方向にいくとは

あまり深く考えていなかった気がする。