生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、

「お母さん」という物体が存在するのではなく、

目、髪、乳房 というものがバラバラに存在していて、それらが「ひとつの人間のパーツ」ということをまだ理解していない。

このバラバラに存在しているもののひとつひとつが「部分対象」といえる。





赤ちゃんはまだ外界の捉え方が、自分と外を分離できていないので、

「常におっぱいをくわえている」と思っている。

つまり、お乳が口の中に流れ込んでくる=良いおっぱいが口にある

お乳が口のなかに入ってこない=悪いおっぱいが口にある

と認識するのだ。




さて、
お腹が空いたときに赤ちゃんの立場からすると、

「おっぱいは口にあるのに、今、くわえているおっぱいはお乳を出さない!!
なんて悪いおっぱいなんだ!!」

「あの、お乳を出してくれる良いおっぱいはどこだ!!」

と悪いおっぱいを非難攻撃し、良いおっぱいを求める。



そして、赤ちゃんにしてみれば、お腹が空いているというのは、
「お腹が空いて、体温が下がって、自分がバラバラになるー!!」「でも、自分ではなんともできないよー!!」という内面の叫びであり、だから赤ちゃんの泣き声は『不快』と周囲の人も感じられる。


この、お腹が空いたときの赤ちゃんの心理では、
悪いおっぱいを口から離し(自分から切り離し)、世界に捨てる。

そして良いおっぱいが来るまで、自分から切り離した悪いおっぱいを非難攻撃し続ける。

良いおっぱいが来たら、本人としては自分の口のなかに「入れ続ける」ので、一体化ということができる。




悪いおっぱいへの対処として出てきた、

嫌いなものを、自分から切り離して世界にバラまく

=自分もその一部である「世界」がバラバラになる・世界がダメになる
=この感覚を世界没落体験 という。


そしてバラバラになっていくのを、自分ではなんともできない苦しさ=迫害不安 という。


この「自分を攻撃する悪いなにか」を、自分から切り離し、世界にばらまくのが赤ちゃんだが、

これが成人では特定のものに投げ入れるという方法もある。

世界にばらまくのではなく、特定のものに、攻撃される・攻撃するの対象を集中させることで、闘うとか逃げるとか、なんとか対処法がまだ考えやすくなるのだ。

だから、テレビが自分の悪口を言っている、
他人が自分の悪口を言っている、
と特定のものが攻撃される・攻撃する対象になっていく。

これが、まさに妄想の土台であり、
無意識が「なんとかこのバラバラの恐怖に対処しよう」と頑張った苦肉の策が妄想なので、
妄想はその人の無意識のためにも否定してはいけないのである。


ここまでが、生まれて3ヶ月くらいであり、パラノイド・シゾイドポジションと表現される。