学術工房100回突破
NPO法人日曜大学学術工房第100回にあたって
「日曜大学による創造」
日曜大学の学術工房では、大学が市民向けに提供する公開講座の路線とは異質の講座を、主に京都を拠点として開いてきた。
その出発は神戸と滋賀であったが、さらに起源を遡るならば、母体となったSTUDYUNIONにおいて、アマチュア研究人の見えないけれども存在した数多くの営為があったことが分かる。たとえばそれは、1994年末から1996年初めまで8回にわたって続けられてきたユニット<社会哲学研究会>、それからこの再興版である<学散ワークショップ>(1997年 6回)、そして<アイボリータワー>などといった一連の趣味としての研究発表会である。
これら在野での研究発表会のコンセプトは、大学という研究機関以外で、しかも企業に寄生せず、純粋な知的好奇心を集中させて生まれる知の生産物を探求しようとしたものであった。税金を用いているわけではないため義務感もなく、企業と関係もないからいかなるものにも媚びる必要はなく、真に自由な精神で知の領野へ繰り出せることを我々は矜持としていた。記録こそないが、どの研究会も参加者は常に少数(5人以下)で、新規参加者は少なかったように記憶している。
参加者は定期的に濃厚な発表を強要されることになったうえに、参加者は二人のみという状況も数知れずあり、このような閉ざされた場所で発表しても全く見返りは何もなかったといえる。それでも、それぞれの知的好奇心と探求心で作品を作り上げてゆく作業を、我々は単純に楽しんできたように思う。
日曜大学は、STUDYUNIONのこの研究会の伝統を一手に引き受けて作られた法人であり、SUのビジョンに従って設立されたNPO法人の大学である。
今、当初のビジョンに比して、改めて全100回の記録を見れば、失望と反省と創造意欲を感じる。
失望とは、在野における、趣味としての研究とは、最終的にその研究の優良さを図るためには、知の巨人達が結集する学界の研究を参考にせざるを得ず、在野独自の研究機関とその制度の構築は、非常に困難であったという点である。
そして反省とは、公共高等教育研究機関を補完しようとした様々な案、たとえば、①知の費用対効果案(大学でわざわざ税金を投入せずともできる研究は趣味で行う方が効率的である)や、②マイスターの知の組み上げ案(プロフェッサーではない、マイスターの知を生かすことが欠けている)、あるいは③学外体験の集約案(既存の学問が必要としていない体験を集約する)は、どれもうまく路線化できなかった点である。
ここで創造意欲とは、このままひとまず200回まで継続し、試行錯誤の遍歴を積み重ねてみること、そしてその足跡を振り返ってから考えることである。独自のビジョンというのは、一定の経験を基礎にして初めて練ることができるとすれば、100回というのはまだ一山でしかないかもしれない。この山を複数創り、山脈化してゆく過程で、ようやく何か見通し(=ビジョン)を建てられるかもしれない。そしてそれは、先の失望を新たな希望へと変換することへつながってゆくと確信する。
ささやかながらも、歴史を創ってゆくというのは、そういう作業に基づくのかもしれない。100回突破は、この歴史創造への一歩となるだろう。
NPO法人日曜大学理事長 関 浩成
2012.1.15(日)
「日曜大学による創造」
日曜大学の学術工房では、大学が市民向けに提供する公開講座の路線とは異質の講座を、主に京都を拠点として開いてきた。
その出発は神戸と滋賀であったが、さらに起源を遡るならば、母体となったSTUDYUNIONにおいて、アマチュア研究人の見えないけれども存在した数多くの営為があったことが分かる。たとえばそれは、1994年末から1996年初めまで8回にわたって続けられてきたユニット<社会哲学研究会>、それからこの再興版である<学散ワークショップ>(1997年 6回)、そして<アイボリータワー>などといった一連の趣味としての研究発表会である。
これら在野での研究発表会のコンセプトは、大学という研究機関以外で、しかも企業に寄生せず、純粋な知的好奇心を集中させて生まれる知の生産物を探求しようとしたものであった。税金を用いているわけではないため義務感もなく、企業と関係もないからいかなるものにも媚びる必要はなく、真に自由な精神で知の領野へ繰り出せることを我々は矜持としていた。記録こそないが、どの研究会も参加者は常に少数(5人以下)で、新規参加者は少なかったように記憶している。
参加者は定期的に濃厚な発表を強要されることになったうえに、参加者は二人のみという状況も数知れずあり、このような閉ざされた場所で発表しても全く見返りは何もなかったといえる。それでも、それぞれの知的好奇心と探求心で作品を作り上げてゆく作業を、我々は単純に楽しんできたように思う。
日曜大学は、STUDYUNIONのこの研究会の伝統を一手に引き受けて作られた法人であり、SUのビジョンに従って設立されたNPO法人の大学である。
今、当初のビジョンに比して、改めて全100回の記録を見れば、失望と反省と創造意欲を感じる。
失望とは、在野における、趣味としての研究とは、最終的にその研究の優良さを図るためには、知の巨人達が結集する学界の研究を参考にせざるを得ず、在野独自の研究機関とその制度の構築は、非常に困難であったという点である。
そして反省とは、公共高等教育研究機関を補完しようとした様々な案、たとえば、①知の費用対効果案(大学でわざわざ税金を投入せずともできる研究は趣味で行う方が効率的である)や、②マイスターの知の組み上げ案(プロフェッサーではない、マイスターの知を生かすことが欠けている)、あるいは③学外体験の集約案(既存の学問が必要としていない体験を集約する)は、どれもうまく路線化できなかった点である。
ここで創造意欲とは、このままひとまず200回まで継続し、試行錯誤の遍歴を積み重ねてみること、そしてその足跡を振り返ってから考えることである。独自のビジョンというのは、一定の経験を基礎にして初めて練ることができるとすれば、100回というのはまだ一山でしかないかもしれない。この山を複数創り、山脈化してゆく過程で、ようやく何か見通し(=ビジョン)を建てられるかもしれない。そしてそれは、先の失望を新たな希望へと変換することへつながってゆくと確信する。
ささやかながらも、歴史を創ってゆくというのは、そういう作業に基づくのかもしれない。100回突破は、この歴史創造への一歩となるだろう。
NPO法人日曜大学理事長 関 浩成
2012.1.15(日)