保津川を浮き輪で下る、その他 2011.6.7 | 誰でもやれる革命

保津川を浮き輪で下る、その他 2011.6.7

久々にお昼の時間に妻も僕も家にいたので、たまには外食ランチだ!
とばかりに、昼ごはんを食べに出た。

たまには原チャで、ということで、スクーター二台で行った。
そのため連絡がとりあえず、僕が適当な店の前にとまったら、
そこに入るものだと思った妻はとっとと入っていった。

京都左京区百万遍北上のところにある、その新しげな韓国料理屋は
お客さんで、微妙に、なんとかいっぱいだった。
ふと見ると、お弁当があったので、二人でお弁当を買った。
390円だった。激安。

再び原チャを飛ばして鴨川(高野川)に出た。
微妙な場所を乗り越えて、川のすぐそばでお弁当を開けた。
おちゃがない!とか言い合いながら食べているうちに、
ガチョウが流れてきた。

それを見た妻が、
「そういえば保津川急流を浮き輪で流れていたら、おじさんに
 慰められたことがあったのよね」
といった。

それは間違いだよ、といいながら思い出した。
そういえば・・・・・

京都市内の北西部に流れ込む保津川を浮き輪で下ったことがあった。
それは、もともとはゴムボートでやる計画だったのだが、
参加人数が3人なったので、やむなく1名は交代で<お尻ボート>
(浮き輪の穴にお尻を入れて進むやつ)で下ろうということに
なったのである。

急流では、当然のように川底の岩でお尻をすり減らしながら、
何とか泣かずに流された。おお!もうすぐ急流が終わり、
再び太平の流れになる・・・。

と思いきや、先を流れていたボート部隊2名が、岸辺で釣りを
していたおじさんに怒鳴りつけられている!
「おまえら!この川で死んだ人間が何人いるのかわかってるのか!
 いいかげんにしろ!」

そこで流れてきえしまったのが、お尻ボートの僕。
おしさんは、もう、それはもう悲しそうにだまってしまいました。
あれは確か、35歳の夏でした。

妻の言う、おじさんに慰められたというのは、また別の話。
それは厳冬期の鞍馬山山中、深夜3時ごろ凍結道路をあるいていたら
車が止まっておじさんにのっけてもらって、降り際に
「生きていれば、いいことあるから」
と慰められ、意味も因果もないが、感動した、という話。
これとごちゃごちゃにしていたのだ。

火曜日昼間、梅雨の隙間。鴨川は微妙に快晴。
ガチョウは我々のすぐ下で、流されずに浮かんでいた。

2011.6.7