努力=苦痛? | 話すだけで成績が上がる家庭教師戸田朝海の勉強できないコンプレックス解消大作戦!

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こんにちは。
府中・京王線沿線の家庭教師、戸田朝海です。

「楽しい」=「楽」か?
って話を昨日はしましたね。
今日は逆に、
「努力」とは「苦痛」なのか?
というお話をしようと思います。

またゲームの話をしますね。
ゲーム好きな人って、ついつい寝る間を惜しんでゲームをやり込んでしまう、って人もいると思います。日に何時間もかけて、時には徹夜してしまった! という人も結構いると思います。

さて質問です。
眠い目を擦りながら、夜更かししてゲームしているとき、
何時間も同じ場所に座りっぱなしでゲーム機を操作しているとき、
あなたは苦しかったですか?
……


苦しくないですよねー≧(´▽`)≦

ゲームが好きな人って、クリアするまで、暇さえあればゲームに没頭します。
中には食事やお風呂など、最低限のこと以外は全てゲームに費やして、更に何日も徹夜するという人さえいます。

すごいと思いませんか?

すごいったってゲームじゃん、と思われそうですが、やってる内容と言ったら、
「モニターを見ながら、ボタン操作しているだけ」
ですよ。これ、中身に興味がなかったら、ただの単純作業に過ぎません。しかもそれを、その場から一歩も動かず、何日も徹夜してまでだなんて、一種の拷問に近いと思います。
そう考えると、ゲーマーの方って、ゲームをクリアするために、ある意味ものすごい努力をしてると思いませんか? これ、やってることがゲームじゃなくて野球だったら、「巨人の星」に匹敵しますって。

でもこれ、好きな人はやれちゃうんですよねー。
むしろ、「やめろ」と言われても、隠れてやっちゃう。正直、「レベル上げ」なんて本当にただの単純作業ですからね。でも、あれを徹夜でやれちゃう人もいるんですよ。私はあんまり好きじゃないんですけどね、レベル上げって(^_^;) でも、世の中には「レベル上げ大好き!」って人もいるんですよね。

で、まあ彼らが何故ここまで(おそらく普通の人からしたら苦痛に感じるであろうことを)やれてしまうのか。

それは、好きだからですよね。
そして楽しいから

そしてこれ、何よりすごいのは、
やってる間じゅうまるで苦痛を感じていない
ということですよ。

むしろ、喜々としてやっていますよね。
好きなこと、楽しいことに夢中になっているとき、人は一見大変な努力をしていても、それを苦痛とは感じていないんです。
これってすごいことだな、と思うんですよね。

どうしても「努力する」っていうと、「苦痛に耐える」というイメージがあると思いませんか?
辛いことを乗り越えることだ!
苦しみに打ち勝ってこそ、力がつくんだ!
まあ、そういう面もあります。
中には、「苦痛を感じなければ努力ではない」「苦痛が大きければ大きいほど、得られるものは大きい」と信じている方もいます。

でも、上記のようなことから、「努力」って必ずしも「苦痛」を伴うこととは言い切れないのでは? って私は思っています。
昔、小学生の頃、私一輪車に乗れるようになりたくて、毎日毎日、日が暮れるまで練習してたことがあったんですよね。何度も転んで、脚に痣や擦り傷いくつも作りながら。でもその時、全然苦痛を感じていなかったんですよねー。
幼稚園のとき、逆上がりの練習したときも同じ。
鉄棒握りすぎて、手が豆だらけになって、途中で豆が潰れて血が出たけど、それでも出来るまでやめたくなかった。
むしろすっごくワクワクして楽しかったけど、やってることを見れば、あれは紛れもなく「努力」だったと思うなあ。

「努力」という言葉から、「苦痛」のイメージをなくしたいなあ、と私は思っているんですよね。そうしたらもっと、余計な気構えなく何かに打ち込むことが出来ると思うし、「努力しなさい」と言われても、「努力かあ…ハア…」と過剰に重苦しい気持ちになることもなく、「努力できないなんてダメですよね…」とむやみに自分を責めることもなくなるんじゃないかなあ、と思うんですけどね。

何故そうしたいかと言えば、↑これらの思いは、新しく何かに挑戦しようという気持ちに、ブレーキをかけてしまうから。

重く考えず、まずは軽~い気持ちで初めて、気がついたら何となく楽しくなって、いつの間にかすごく難しくて大変なことまで出来るようになってた!
っていうのが一番だな~と思うんですよね。勉強でもなんでも。


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