府中・京王線沿線の家庭教師、戸田朝海です。
今日ですね、Yahoo!知恵袋で、教育関連のお悩みを検索していたら、驚きの項目が目に入りました。
「義務教育なんだから、給食費を払うのはおかしい」
こんなことを言って、給食費を払うのを拒否する人がいるんですが、どう思いますか・・・? というものでした。
なんのこっちゃ!?ですよね~
おそらく、「義務」という言葉の意味を少し誤解してらっしゃるか、本来の意味とは違うイメージで固まってしまってるのでしょう。
多分この方、「義務=やらされていること」という感覚なのだと思います。
「やりたくもないことを無理やりやらされているのに、何でその上お金まで払わなきゃいけないの?」
こういう考え方なんでしょうね。
「義務」の本来の意味は、「しなければいけないこと」であって、「やらされること」ではありません。
「しなければいけない」と考えれば、主体は自分です。「自分」に目的があり、そのために「自分が」するんだ、という意識になります。
しかし「やらされている」だと、そこに「自分」がいませんね。自分ではない「誰か」の意思や目的があり、そのために動かされている、労働力の一部、その「誰か」のせいで、何かを強制されている自分は被害者……そういうイメージが湧いてきます。
これはつまんないでしょうね~
何だかとても、自由を奪われる、支配されてる感じがします。
そしてこれが高じると、今度は犠牲者になったような気分になってきます。
「あなたのせいで、私はこれをしなければならなくなった」
という感覚ですね。
「あなたのために、私が耐えてあげてるのよ!」
そして最終的にはこうなります。
昔、私の同級生にもいましたよ。
親に叱られると
「そんなこと言うと、もう勉強してあげないからね!」
と、親御さんを脅迫する子が。
一体、誰のための勉強なのでしょうか。
被害者意識ここに極まれり、といった発想ですね。
この辺は、まず親や教育者が「勉強は何のためにするのか?」ここを明確にしておくことも大事です。教える側自身が、「目的」をあやふやにしたまま教えると、どうしても
「理由はないけどとにかく我慢してやりなさい!」
というアプローチになってしまいます。
そうすると当然、子ども側も「我慢させられている」感覚が育っちゃいますよね。
自分の中で、きちんと「目的意識」が明確になっていれば、お子様にも「目的」を持つ感覚を伝えやすいと思いますよ。もし、それがまだよくわからない…という方がいらっしゃいましたら、こちらの記事なんかを、よかったらご参考になさって下さい(^∇^)
これと同じ考えでなくてもいいんですよ~
それぞれ、その人なりのお考えがあることでしょうからね。
大事なのは、「明確であること」。そして「ブレないこと」です。
ぜひ、お考えになってみて下さいね。

