国語力で人生を開く! 家庭教師の戸田朝海です。
「会話はキャッチボール」と言いますが、本当に、相手に何か伝えようとするのは、ボールを投げかけるのに似ている、と思います。
どんなに上手い人でも、いえ、上手い人であればこそ、小さい子にいきなり豪速球を投げつけたりしないように、言葉のボールも、相手に合わせて、受け取りやすいように、工夫して投げますよね。
相手が、ある程度実力のある人なら、その人に合わせた強さで投げるでしょうし、時には、相手の成長のために、敢えて強いボールや、取りにくい位置に投げたりとかも、するのかもしれません。
でも、明らかな暴投をされれば、相手は取れないし、変なところに飛んだボールを取るためにフォームを崩したら、その後投げるボールも、やっぱり変なところに飛んでいくかもしれませんよね。
また、わざと相手が取りにくいような変化球ばかり投げる人は、相手もだんだん嫌気が差して、「この人のボールは受け取りたくない」ということに、なってくるかもしれません。
強すぎるボールというのもそうで、相手はキャッチボールをするつもりでグラブを構えているのに、三振を取りに行くような強すぎる球を投げたら、きっと相手はびっくりします。
そういうボールは、取り損なったり、身体に当たったりすると、とても痛いです。痛いので、相手は悲鳴を上げたり、怒ったりするかもしれません。そして、再びこっちに投げ返してくるボールも、同じくらい、か、もっと強いのが返ってくるかも。
急にボールをぶつけられて腹立つ! っていうときも、案外、先に自分が投げたボールが、何かにぶつかって跳ね返ってきただけ、ってことも、あるかもしれませんよ。
まあ、時には、球場のファウルボールのように、何にもしてないのに、いきなり関係ないところから飛んできた! みたいなことも、あったりするかもしれませんが…。そういうのは、不運だったと思うしかないのかな…
ともあれ、言葉を発するとき、その目的が、ただ投げつけることではなく、受け取ってもらう(伝える)ことにあるならば、受け手が受け取りやすいような工夫が、何かしら出来るのではないかなあ、と思います。
そして、その一つが「国語力」と言えるんじゃないでしょうか。
相手が理解しやすい言葉を選び、伝わりやすいように、文章の長さ、組み立て方を工夫する。これは、語彙力や、文章力、論理的思考力など、国語力がなければ出来ないことです。
あるいは、相手の気持ちを読み取るために、感性や、読解力など。こちらも国語で培えるものですね。
もちろん、ちゃんと伝えようとしたら、言葉や文章だけではなく、表情や仕草、声のトーンなどといった、ノンバーバル(非言語)コミュニケーションも、大事になってくるんですけど。
でも、実は言葉そのもののもつイメージって、人の感覚に大きく影響するので、どんな言葉(単語)を選ぶか? っていうのは、意外に重要なポイントだと思います。
この点は、やはり国語力の高さがものを言います。
言葉の知識が豊富なら、その分、正確に選べるわけですから。
そして本来、国語を学ぶ意義って、そこにあると思うんですよね。
「日本語なんて、日本人なら誰でも喋れるんだから、わざわざ勉強しなくていいじゃーん」っていうんじゃなくてね。
確かに、日本人で日本語喋れない人はいないかもしれませんけど、でもそれって、果たして100%、必ず相手に理解されてるのか? っていうと?
要は、話せるか? ではなく、伝えられるか? ですよね。
言葉は、伝えるためにあるのですから。

