1、陰鬱な差別国イギリスのデジャブ〜ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー〜


のつづきです。







目次


・端書き


・壁のない世界


-1、人間をみる前に枠組みをみる


-2、日本人学生と留学生の距離感(日本編)


-3、現地のイギリス人学生と、留学生わたし。(英国編)

①壁を保ち、遠慮するわたし

②壁を乗り越えるわたし

③そもそも壁がなかったことに気付いたわたし



 





端書き




陰鬱で階級意識が強く、選民思想的な価値観を持つ差別的で保守的で外国人嫌いな怖い国、イギリス。


その当時頭に描いていた英国を、『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』を読んで久しぶりに思い出しました。


本のあらすじと、私がそんなイメージを抱くことになった経緯は前の記事をお読みください。→




イギリスに対してそんな暗いイメージを持ったまま留学のために渡英した私でしたが、だんだんとそのイメージは崩れていきました


部外者を受け入れない人食い人種の暮らす村と噂される村を訪れてみたら、盛大にもてなされ、可愛がられ、何もされることなく帰還できたくらい拍子抜けな体験でした。



もちろん誰と関わるか、どこに属しているのか(中学生か、高校生か、大学生か、語学学校の生徒か、学部の学生か、職場で働く大人か、ママ友やパパ友ともお付き合いのある子育てする人か、1週間滞在する人か、1年間滞在する人か、数十年とそこで暮らす人か等々)、そして(おそらく一番大きいところだと思ったのはここ→)個々の性格によってもその経験は大きく変わっていくと思うので、それを承知でお読みください。





壁のない世界








1、人間をみる前に枠組をみる


日本を観光目的以外で出たことがなかった頃、私と外国人の間には、私と日本人との間にはない何かがありました。


それをと呼ぶとすると、それはとても自然に作られた壁で私に悪意はありませんでしたし、壁があることを意識していませんでした。


その壁に近いと思うのが、小中学生の頃異性を前に感じていた壁。異性と話すときにとても緊張していた私は、同性の子と話すときとは違う何かが、男子と私の間にはあると感じていました。その何かに遮られて男の子とは普通に話せなかったので、男友達なんておりませんでした。でもそれは男の子に対する悪意から来るものではありませんでした。


その人を同じ人間であると感じる前に何かの枠組みに入れて距離を置く感覚


お医者さん、スーパーの店員さん、親戚のおばさん、友達のお母さん等々、だれかと話すときは、その人をその枠組みとして捉え接します(目の前の人を同じ人間だと捉える前に、お医者さんとして捉える、店員さんとして捉える、親戚のおばさんとして、友達のお母さんとして、捉え接する感覚。)。それは大親友や自分の家族と接するときとは違う感覚です。


外国人に対する意識もそれに近いものがありました。

外国人と話すときは、日本人と話すときとは違う緊張感を感じていていましたし、日本人相手には感じない、こんなこと言っていいのかな?失礼かな、怒らせちゃうかな、バカだと思われるかな、と思ってしまう気持ちがありました。


日本人相手と言ったけど、先ほどいった枠組みにはまった日本人に対して、同様の緊張感や、こんなこと言っちゃだめかな?の気持ちはあります。










2、日本人学生と留学生の距離感(日本編)


日本の私の大学にはたくさん留学生がいましたが、日本人学生留学生にもその壁がありました。


日本人同士が友達になる感覚で、留学生同士が友達になる感覚で、日本人学生と留学生が友達にはなれない感じ。


おそらくどちらにも悪意はなく、お互いがお互いに遠慮している感じ。


もちろんどんな世界にも例外があるので、自分にはそういう壁がなかったなあと思う方は素晴らしい人格者です。


でも私にはその壁があり、留学生と上手く話せなかった。唯一話せたのが前の記事でお話した陰気なイギリス人と、とある日本語ペラペラのアメリカ人でした。








3、現地のイギリス人学生と、留学生わたし。(英国編)


①壁を保ち、遠慮するわたし


そんな壁を当然のように受け入れて、抱えたまま私はイギリス留学を開始しました。


フラットに入ると、同じフラットで暮らすことになる学生が私含めて4人いるとわかりました。私以外全員現地の学生であるイギリス人。


私以外の3人はすぐに打ち解けて仲良くなっていました。私以外の3人もそれぞれ全員が初対面同士だったので、自己紹介をしたり、相手を探り探り質問したり、みんな一年生ということで、一緒にFresher Weekに出かけたりしていました。


※Fresher Weekとは…

正式に授業が始まる前の1週間、大学キャンパス周辺で開催されるイベント週間です。Fresherは、大学一年生のこと。色んなサークル(ソーサエティ)の紹介ブースや、地元企業の宣伝ためのイベントブースなどが設けられ、あちこちで簡単なゲームイベントが開催されたり、あるいは何かに登録しろと言われたりしますが、引き換えとして景品(Tシャツ、ペン等々)がもらえたり、ピザ(ドミノピザの宣伝)やドーナツ(クリスピークリームドーナツの宣伝)、その他いろんな料理(地元レストランからの提供)を無料で頂けたりします。



私はというと、同じ大学から来た日本人の子が一人いたので、その子とFresher Weekに出かけるか、あとは、一人で自室に籠もっていました


一人自室に篭っていても、壁も扉も薄く、扉の下には隙間が空いているので、フラットメイトの楽しそうな会話は丸聞こえでした。そこに入っていけない自分が情けなくて、寂しくて、生まれて初めて孤独を感じました。


フラットメイトが私を仲間外れにしていたわけではありません。


ただ私自身が日本から連れてきた壁を手放せずにいたのです。どんなに暑くても人の皮膚を一枚剥がせないように、私にとってその壁は当然のようにそこにあったから、どんなに辛くても壁を手放すということがどういうことなのかもいまいち分かっていませんでした。


勝手な思い込みで、『フラットメイトは皆一年生で、友達が作りたい時期なわけで、つまりは、同じ授業に参加したり、同じ課題をこなしたりしながら、4年間を共にする、価値観も合う、盛り上がる話題もある、言語も通じるイギリス人同士で友達になりたいと思っているはず。だから1年で帰ってしまう、共通の話題も授業も課題も特にない、英語もろくに喋れない外国人留学生の私なんかとは友達になりたくないはずだ。』と、私自身が遠慮して距離を取っていたのです。



②壁を乗り越えるわたし


でも1週間が過ぎ、このままだと本当にこの関係が続いて私は一人ぼっちになっちゃう。そんなのは嫌だ、と、フラットメイトの話の輪に入ってみたのです。


“Hi what are you talking about?”

“ねぇ、何喋ってるの?”


初日に”I am (my name). I am from Japan. I study business.”/”私は(名前)です。日本から来ました。ビジネスを勉強します。”という簡単な自己紹介を隣人としてしたことは除いて、沈黙を貫いていた外国人留学生が、突然話しかけてきたのだから、一瞬気まずい空気が流れましたが、3人揃って懸命に私とコミュニケーションを取ろうとしてくれました。  


日本に関するフランクな動画をYoutubeから見つけてきて(→https://youtu.be/6xIOfu2tzQM/ https://youtu.be/zhGnuWwpNxI)、この動画を見たことはあるか、どう思うかなどと聞いてくれることもありました。


耳の慣れていない私は、フラットメイトの言葉をほとんど聞き取れませんでしたし、聞き取ろうとすることに必死で、コロコロ変わる話題を理解しようとするのに必死で、頭の中で何を言おうか考えるのに必死で、そして何か言うことを思いついたと思ったらもう違う話題になっているので私の思いついたことは御蔵入りになり、スピーキングもろくにできませんでした



③そもそも壁がなかったことに気づいたわたし


ろくな返しができず、相手をがっかりさせているかもしれないと落ち込むばかりでしたが、そんな私にずっと付き合ってくれるフラットメイトたち


ことあるごとに遊びや用事に私を誘ったり、私が誘わなかったことに怒ったり、すごく対等に接してくれたのです。


それは私のフラットメイトだけでなく、フラットの外で会う人も皆そんな感じ。外国人である前に、人として、友達として、現地のイギリス人の友達と接するように私を仲間に入れてくれるのです。


私が持っていた壁の存在を初めて私自身が認識し、それに恥じた瞬間でした。


外国人との話しにくさ輪に入りにくい感覚を半分相手のせいにしていた私でしたが、それは私が一方的に作った壁のせいで、相手側にはそもそも壁なんて作られていなかったことに初めて気づきました。外国人と日本人の間にある壁は、当然のように存在するわけではなかったのだと、初めて感じました。


私がイギリスで作った大切な友達の一人である男の子。両親が日本人だけど、イギリスで育った彼。彼が白人系黒人系アジア系等々のイギリス人とのコミュニケーションを取るのを見てていて学ぶことも多くありました。めっちゃ踏み入ってる!双方に遠慮が全くない!壁のないコミュニケーションだ!と。


私もフラットメイトを友達を、外国人である前にただの人間として、友達として受け入れるようになり、私のフラットメイト達や友達はおそらく初めから、私を外国人である前に人として、友達として受け入れてくれました。





長くなるので続きますが、続きの記事では、(もしかすると人によっては差別だと勘違いしそうになること〜コミュニケーションスタイルの差〜』についてお話します。








ひとこと


イギリスのこともっと知りたいなあ。

イギリスの良いところも悪いところもっと経験したい…