サークルで東北の復興支援イベントをやるので、6日の夜からワゴン車で石巻行ってきた。
最初は小学校行って死体安置所だった体育館を見させてもらいました。体育館の時計は2時46分で止まってた。
この地震は忘れてはいけないって改めて思った。
物置には、子供達の靴やランドセルがたくさん積まれていた。それを見ていると自然と涙が出てきた。苦しかったんだろうなって胸が苦しくなった。
海岸沿いに向かうにつれて、1階が完全に無くなっている家や玄関へと整備された道はあるけどその先は空き地になってしまっているという悲惨な物ばかりだった。
信じられないというか津波の恐ろしさというか本当にゴミ置き場みたいに荒れ果てていて、ここに家があったというのが信じられない現場だった。テレビで見ていても伝わらない悲惨さがあった。
海岸にあるゴミ集積場の近くに行くと、とてつもない異臭がした。窓を少し開けただけなのに、車の中が耐えきれないくらい臭くなった。正直今まで嗅いだ事の無い臭いで、口を押さえずにはいられなかった。
その中でも必死に草刈りやゴミ拾いをしている作業員の方がかっこよかった。
次に別の小学校に寄ったが、そこは完全に荒廃していて教室とか職員室がむちゃくちゃになっていた。
現地のおじさんに話を聞いてみると、石巻で焼きそば屋をやっていたけど、店が流されてしまって営業できずに困ってるって言ってた。奥さんも見つからなくてどうしようもないけど、立ち止まっていてもしょうがないっていう事でたくさんの人にこの現状を伝えているとおっしゃっていた。この前はお台場合衆国で石巻焼きそば屋を出したり、Bー1グランプリに出たりしてPRしているらしい。とりあえずこの現状を帰ったら色んな人に伝えて欲しいと強く言われた。
石巻にある高校に立ち合って頂き、吹奏楽の部員に取材をさせて頂いた。
ホルンを吹いてた、仲良し2人組に取材をさせてもらった。
震災の影響で、家族や友達の存在に改めて感謝したくなったって繰り返し言ってた。
地震が来た時は教室の屋上で練習していて、その時は本気で死ぬかと思ったって言ってた。
一生吹奏楽をする事ができないと思ってたけど、またこうやって吹奏楽をできて嬉しかったって泣きながら答えてくれた。本当に仲良しで、幸せそうな顔してました。ありがとう。
最後に顧問の先生に話を聞いたら震災後の生徒は強くなった。生徒がみんな口を揃えて言うのが、普段の生活に戻りたい。普段の生活がどれだけ幸せだったかって事を言っていると教えて頂いた。
現地の人は、遊びでも観光でもなんでも良いから生の目でこの現状を見て欲しいって事をみんな言ってました。
そして、僕は今回こういう機会を得れて本当に良かったし改めて自然の怖さを目の当たりにしました。
この先も必ずこういった事は起こると思う。だけど今できる事と言えば、震災で被害に合われた方の支えになる事だと思うし、いつ自分の身に起こるか分からない何かしらの事件とか事故があるって事を知っておかなければいけないと思った。
そして、今こうやって普通に生活できている事がどれだけ幸せな事なのかって事が実感できたし、東北の方々だけじゃなくて日本中ができる限りの事をしなければいけない状況であると思った。本当に初めてこんな現状を目の前にして言葉が出なかったし、これから復興をしていくにあたって何か手助けできる事があれば、すぐに行動します。
日本が一つになるとか、そんなの無理に決まってんじゃ~んとか言ってる場合じゃない。
偽善でもなんでもいいから、やれる事、手助けできる事はしなくちゃいけない。やらなきゃいけない。
地震が来て、終わったんじゃないし、むしろ始まったというか、平和ボケしている日本が目覚めるきっかけにもなったんじゃないかなって感じた。
取材に協力してくれた現地の方やお話をしていただいた方に本当に感謝しています。
そしてこれから、以前の東北を取り戻してさらに強い日本をつくっていけるように頑張っていきましょう。
最初は小学校行って死体安置所だった体育館を見させてもらいました。体育館の時計は2時46分で止まってた。
この地震は忘れてはいけないって改めて思った。
物置には、子供達の靴やランドセルがたくさん積まれていた。それを見ていると自然と涙が出てきた。苦しかったんだろうなって胸が苦しくなった。
海岸沿いに向かうにつれて、1階が完全に無くなっている家や玄関へと整備された道はあるけどその先は空き地になってしまっているという悲惨な物ばかりだった。
信じられないというか津波の恐ろしさというか本当にゴミ置き場みたいに荒れ果てていて、ここに家があったというのが信じられない現場だった。テレビで見ていても伝わらない悲惨さがあった。
海岸にあるゴミ集積場の近くに行くと、とてつもない異臭がした。窓を少し開けただけなのに、車の中が耐えきれないくらい臭くなった。正直今まで嗅いだ事の無い臭いで、口を押さえずにはいられなかった。
その中でも必死に草刈りやゴミ拾いをしている作業員の方がかっこよかった。
次に別の小学校に寄ったが、そこは完全に荒廃していて教室とか職員室がむちゃくちゃになっていた。
現地のおじさんに話を聞いてみると、石巻で焼きそば屋をやっていたけど、店が流されてしまって営業できずに困ってるって言ってた。奥さんも見つからなくてどうしようもないけど、立ち止まっていてもしょうがないっていう事でたくさんの人にこの現状を伝えているとおっしゃっていた。この前はお台場合衆国で石巻焼きそば屋を出したり、Bー1グランプリに出たりしてPRしているらしい。とりあえずこの現状を帰ったら色んな人に伝えて欲しいと強く言われた。
石巻にある高校に立ち合って頂き、吹奏楽の部員に取材をさせて頂いた。
ホルンを吹いてた、仲良し2人組に取材をさせてもらった。
震災の影響で、家族や友達の存在に改めて感謝したくなったって繰り返し言ってた。
地震が来た時は教室の屋上で練習していて、その時は本気で死ぬかと思ったって言ってた。
一生吹奏楽をする事ができないと思ってたけど、またこうやって吹奏楽をできて嬉しかったって泣きながら答えてくれた。本当に仲良しで、幸せそうな顔してました。ありがとう。
最後に顧問の先生に話を聞いたら震災後の生徒は強くなった。生徒がみんな口を揃えて言うのが、普段の生活に戻りたい。普段の生活がどれだけ幸せだったかって事を言っていると教えて頂いた。
現地の人は、遊びでも観光でもなんでも良いから生の目でこの現状を見て欲しいって事をみんな言ってました。
そして、僕は今回こういう機会を得れて本当に良かったし改めて自然の怖さを目の当たりにしました。
この先も必ずこういった事は起こると思う。だけど今できる事と言えば、震災で被害に合われた方の支えになる事だと思うし、いつ自分の身に起こるか分からない何かしらの事件とか事故があるって事を知っておかなければいけないと思った。
そして、今こうやって普通に生活できている事がどれだけ幸せな事なのかって事が実感できたし、東北の方々だけじゃなくて日本中ができる限りの事をしなければいけない状況であると思った。本当に初めてこんな現状を目の前にして言葉が出なかったし、これから復興をしていくにあたって何か手助けできる事があれば、すぐに行動します。
日本が一つになるとか、そんなの無理に決まってんじゃ~んとか言ってる場合じゃない。
偽善でもなんでもいいから、やれる事、手助けできる事はしなくちゃいけない。やらなきゃいけない。
地震が来て、終わったんじゃないし、むしろ始まったというか、平和ボケしている日本が目覚めるきっかけにもなったんじゃないかなって感じた。
取材に協力してくれた現地の方やお話をしていただいた方に本当に感謝しています。
そしてこれから、以前の東北を取り戻してさらに強い日本をつくっていけるように頑張っていきましょう。