春を通り越して初夏の気配すらありますね。

新年度がスタートし,1週間が経過,学校では授業も本格的にスタートしていると思います。

 

進学校に進んだ高校生で,課題の多さに頭を抱えている人もいるかと思います。

馬鹿正直に全て完璧にこなそうとすると,大変なことになってしまうと思いますので,しっかりやるものと,ある程度で済ませるものとを見極めないと,せっかくの高校生活が苦しいものになってしまいます。

 

で,タイトルですが,課題を多く出す高校の教師たちは,それによって生徒の貴重な時間を奪っているという意識が欠落していると思います。

その課題をやることで,どんな力がつくのか,自分の貴重な時間を犠牲にしてその課題に取り組むことで,どんな成長ができるのか,せめてそれを可能な限り明確に示すのが,学校側の生徒に対する誠意だと思います。

「大学受験のためだ」

「仕方ないだろう」

「それくらい想像しろ」

そんな声もあるかもしれません。

 

私が学校という存在を好きになれない理由を考えてみたのですが,いろいろとあるものの,そのうちの一つに上述したような,教師から生徒への誠意というものがほとんどないことが挙げられるのではないかなと思っています。

「そんなもの必要ない」

と多くの人が考えるかもしれませんが,私は中学生・高校生時分,それがあってほしいと思っていました。

「子ども扱いしないでほしかった」と言った方が適切かもしれません。

そんな思いがあったからか,うちの塾では,生徒たちをあまり子ども扱いしないようにしています。

一個人として,可能な限り各自の意思を尊重しようと,努力はしているつもりです。

 

「大人は子どもを教え,導かないといけない」

そういう面もあると思いますし,それはそれで正しいと思います。

教員になろうという人ですので,学校の先生たちは,その思い,人一倍強いと思います。

しかし,それはそれで,生徒の気持ちまでないがしろにして良いという理由にはなりません。

その課題によって生徒の時間を奪っているという意識が頭の片隅にでもあれば,しっかり説明するはずです。

それに,大人もまた,子どもから学ぶことがあり,大人自身も成長します。

子どもは勝手に育つので,子どもを教え導くなど,傲慢ですらあると考えることだってできるかもしれません。

 

何が言いたいのか。

課題を出すこと自体が悪ではありません。

課題をやることで成長でき,それが直接的ではないにしても,先の幸せにつながることもあるでしょう。

課題を出すのなら,それによって相手の貴重な時間を奪うのなら,せめて納得に足る最低限の説明をしてほしいと,それだけです。

もしこういうことを言い出す生徒がいたとして,それに対して「面倒くさい生徒だな」と思う教師がいたとしたら(大半がそうだと思いますが),その人は教師に向いていないだろうと思います。

 

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