昨日は日中でも気温が上がらず,寒かったですね。

自習に来る中3生が増え,受験も近づいてきたと実感します。

公立高校の入試まであと80日です。

今日の模試復習講座の際にも伝えましたが,人それぞれ,能力,適性,性格,努力量,その他もろもろ,異なります。

遺伝要因,環境要因,あります。

そんな中,時間だけは皆に平等に与えられています。

あと80日をいかに過ごすか。

生徒たちには,今自分が取れるであろう最善の行動を取ってほしいと思っています。

私は私で,その生徒にとっての最善を提案します。

ただ,強制的に何かをさせるようなことはしたくありません。

本人が自ら納得し,本人の意思で行動を起こさない限り,本当の成長にはつながらないだろうと思うからです。

 

タイトルですが,不穏なワードが入っていますね。

ナチスドイツを連想する人も多いかと思います。

優生思想。

これを学校教育は否定できるのか,少し前から疑問に思っていたので,思い切って書きます。

優生思想や優生学と言うと,障害者の排除や生殖に関する断絶(断種)のような意味合いが強いかもしれませんが,言いたいことはそのようなことではありません。

言葉の選択として「優生思想」は不適格かもしれませんが,進めます。

何かというと,「学業成績」に関することです。

学校の成績が優秀である人物を高く評価し,そうではない人物に対して,もっと勉強を頑張れ,良い成績を取れるよう努力しろ,成績が悪ければ補習に出ろ(あなたの時間を差し出せ),こういったことを是として良いのかということです。

 

「優秀な人物を評価するのは当たり前ではないか」

「良い成績を修めることの何がまずいのか」

という声は多くあると思います。

しかし,だとしたらそれは,広い意味での優生思想の肯定につながるのではないか,ということです。

学業成績が優秀な人物ほど価値があるのでしょうか。

学んでいる全員が良い成績を残さないといけないのでしょうか。

 

学校という極めて狭い社会で過ごす小中高生たちにとって,成績優秀者を社会的な価値が高い者と思ってしまうことは必然なのかもしれません。

だからこそ,テストの点数だけで「誰々より頭が良い・悪い」などという短絡的な評価を下してしまうのです。

これほど愚かなことはありません。

しかし私たちは人格形成に大事な時期を,ほぼこのシステムの中で過ごします。

暗黙のうちに学校教育はこういったことを是認しているのではないか。

 

学習塾の講師を生業として,十年以上,勉強のできる子よりもできない子の方を多く見てきた者として,おそらく私は教育に関して,世間一般とは異なる価値基準で動いているのだと思います。

生徒たちに先生とは呼ばれますが,自分が先生だと思ったことは一度もありません。

小中高生より,ほんのわずか,勉強のことを知っているだけです。

経験を積んでいるだけです。

それを伝達する手段を持ち合わせているだけです。

私が知らないことなどごまんとあります。

生徒たちから学ぶこともとても多いです。

特に今年は,そう思わせてくれる生徒と出会えた貴重な年でした(まだ終わっていませんが)。

 

すみません。

優生思想の話から逸れました。

「成績の良い者は成績の悪い者よりも価値が高い」あるいは

「成績の悪い者は成績の良い者よりも価値が低い」というような気持ちがあるのかないのか,

あるとしたら,その考えの下では,優生思想を否定できないのではないか,そう思います。

「そんな大げさなものではない」と一蹴されそうですが,

こんなことを考えている人間が,学習塾をやっています。

 

お花屋さんの上,船のマークの学習塾Study Shipです。

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