引き続き残暑が厳しいですが,ようやく少しだけ涼しくなってきました。
体調を崩す児童・生徒もちらほら出てきています。
中学生の期末考査ですが,先週の木金で終わったところもあれば,今日明日のところもあります。
今週木金も一校だけあります。
高校生の期末考査も,早いところは今週から,遅いところで今月下旬や月末です。
定期考査や受験など完全に無視した,その子が学びたいことをとことん追求できる,そんな塾にしたいと思っていますが,もう少し先になりそうです。
タイトルですが,世の中,勝ち負けにこだわりすぎていないか,というのが少し前からのテーマとしてあります。
私たちは資本主義経済の中で競争にさらされているので,あらゆるものに勝ち負けがあると錯覚してしまいます。
それは勉強にすら及んでしまっています。
自分の人生を豊かにしてくれるはずの勉強というものが,『テスト』という,目に見える点数だけによって,自分と他人の能力差をいやおうなしに見せつけられるものに成り下がってしまってしまっているのではないか。
テストの点数で誰々に勝った・負けた……。誰々より頭が良い・悪い……。
個人的にはあまり好きな考え方ではありません。
もちろん物事を比較検討することは大事ですので,比べることは悪ではありませんが,テスト結果なんかでは,頭の良さは決まりません。
5教科の勉強に興味がないだけで,ある分野ならば自ら進んで学ぼうとする子もいるのではないでしょうか。
そう考えると,学校教育がいかに偏っているのか,子どもたちを管理しやすいように扱っているか,きわめて不本意に感じます。
学校に違和感をもつ方が正常なのではないかとすら思います。
教育という,目に見えないことの方が多いものを,目に見えるものだけで判断してはいけない。
しかし,かといって,目に見える部分をおろそかにして良いことにはならない。
「〇〇くんはこういった能力が高いから,これを勉強したら良いのではないか」
「△△さんはこの分野に興味関心が高いからこういったことを追求したら良い」
そういった提案をして,本当にその子が学びたいものを学べる場を,大人が作ってあげなければいけないのではないか。
大学はありますが,18歳では遅すぎますし,今の大学は,学問研究というより,どちらかというと就職するために通わなければいけないような場所になってしまっています。
もっと早くから,その子の適性や能力に合った学びを提供する場を用意できないのか。
その実現のためには政治家になって教育改革する以外にないのか……。
そんなことを考えながら,明日期末テストがある生徒の準備を始めます。
ああ,矛盾……
余談ですが,何年かぶりにある曲を聴き,前は理解できなかった歌詞の部分が,ようやくわかりました。
「何を」が書かれていないから,分かるわけがなかったのです。
自分でいくらでも想像してよかったのです。
「はなしてやろう」の部分。
「話す」ではなく「放す」。
直前に水槽を買いにいくというのがあるので。
何を放したのか。
おそらく「自分の気持ち」か。
いや,前述の歌詞の「幸せ」か。
いや,一切の描写はないが,単純に捕まえた魚かもしれない。
川べりの家だから。
目に見える部分だけで考えてはいけない。
そんなことにようやく気付けました。
テストの問題は,逆です。
書かれていることだけから客観的に答えを導く。
また,矛盾……
いや,私はどちらも好きです。
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