久しぶりに教育以外の話題を書いてみます。
テニスの大坂なおみ選手が,試合中にラケットを壊したことがネットニュースになっていました。
これまでも,テニス選手がイライラしてラケットを投げつける場面を何度か映像で見たことがありますが,この行為,個人的に非常に不快な気持ちになります。
大の大人が物を大切にできないというのは,残念な気持ちにもなります。
「それくらいの気持ちがないと世界ランキング一位にはなれない」と言う人がいたとしたら,
「物を壊してまでなる世界ランキング一位に価値はない」と言ってやりたいです。
スポーツで一番になるより,物を大切にできる人間になりたいと思っています。
小さな子どもは,自分の思うようにならないと,癇癪を起こすことが多いです。泣き出しもします。
幼さ故,感情をうまく制御できないことが原因でしょう。
自分の思い通りにいかないことのフラストレーションにより,破壊行動を行うというのは,幼さの象徴だと思います。
そもそも世の中は自分の思う通りにいきません。
自分一人で行う行為でもそういうことはあるのに,対戦相手のいる競技ならなおさらです。
イライラして物を壊すというのは,自分の思い通りにいくはずだという前提の意識があるので,ある意味,傲慢さの表れとも言える気がします。
そしてさらにその奥には「勝ちたい」という気持ちもまた,顔をのぞかせていると思います。
勝ちへのこだわりが,上述した行為につながってる可能性も,ゼロではないと思います。
最近私が考えていることに,「勝ち負けにこだわることが善なのか」ということがあります。
私たちは,幼いころから勝ち負けを経験して育ってきます。
勝つと歓喜する親の姿を見ることで,勝負に勝てば親を喜ばすことができることも覚えます。
負けるより勝つ方が気持ちよくなります。
しかし,結果として出る勝ち負けというものにこだわることに,果たしてどれくらい意味や価値があるのか,疑問に思い始めました。
以前からブログでも述べている通り,私は結果よりも過程を重要視する人間です。
だからなのか,それでもようやく今のこの歳になったからなのか,勝ち負けを越えたおもしろさがあることに気付きました。
負けるより勝ちたいという気持ちは私も当然持っています。
それでも,例えば将棋をしていて,こちらが負けだったとしても,非常に白熱した良い勝負ができたときは,負けても気分はそこまで悪くありません。
逆に,勝ったとしても,自分に明らかなミスがあることに気付き,それを相手が見逃しただけだったりすると,純粋に諸手を挙げては喜べません。
将棋はスポーツではありませんが,「スポーツには勝ち負けを超越したおもしろさがある」という思想に,もっと幼いころから触れるべきなのではないかと,そう思っています。
だんだん収拾がつかなくなってきました。
ついでにオリンピックについても書こうと思ったり,テストの点数や順位にも言及しようかと思ったりしましたが,次回に譲ります。
そういえば,次回に譲ったはいいが,いっこうに触れていないことが多々あったような気がしますので,気付いたときに書いていきます。
このような考えを持った人間が一人で運営しています。
お花屋さんの上,船のマークの学習塾Study Shipです。