久しぶりのブログ更新になってしまいました。
よく,身体障害や知的障害について,「障害」ではなく「個性」であるという議論があります。
これには反対ではなく,どちらかというと賛成寄りではありますが,個人的には「個性」というと,なんだかきれいごとで済まされてしまうような感じがして,そういうものでもないのではないかと,その表現はあまり好みませんでした。
しかし,発達障害や学習障害に関しては,果たして障害という語句選定がふさわしいのか,疑問に感じ始めています。
この仕事をするまで,勉強に困難を抱えている子がこんなにもいるとは,正直思いませんでした。
人それぞれ,子供も大人も,能力の差は間違いなく存在します。
その差は,努力でカバーすることが困難であるという意味です。
よく,「できない子なんていない。大人側がそう決めつけているだけ」のような,キラキラした理想を述べる評論家のような人もいますが,個人的には,できる・できないの差は間違いなく存在すると思っています。
児童生徒の学習指導に真剣に携わったことのある人間ならば,多くの人が肯定することだと思います。
それを肯定した上で,しかしやはり,学習「障害」という言葉は,ふさわしくないのではと思います。
「障害」ではなく,「特性」という言葉の方が合っていると思います。
特性というと,どうしてもすぐれているという意で用いられる場合が多くあるようですが,優劣ではなく,特徴です。
ブログで何度か述べていますが,私の教育観として,全ての生徒が5教科の勉強を「高いレベルで」できなくても良いと思っています。
ずいぶん前,県外の同業者の方で,100m20秒で走る子を,18秒で走れるようにする教育にも意味があるというようなことを述べられていたことがあり,勇気づけられました。
絵を描くのが得意な子も,スポーツが得意な子も,数学が得意な子も,できる・できるないの差が生きづらさにつながっていかない社会が理想なのだと思います。
それまでうまくできなかったことを,自身の努力と周りの協力によって,現状より上のレベルにもっていけたことで得られる達成感や感謝の念は,人間的な成長に欠かせないとも思います。
そのため,苦手だからとその一言で片づけ,完全に目をつぶるというのも,成長するチャンスを自ら放棄することになるので,もったいないと思います。
収拾がつかなかくなってきました。
発達障害,学習障害ではなく,発達特性,学習特性,どうでしょう。
そうなると,身体障害や知的障害も,身体特性,知的特性ですね。
「個性」というざっくりした表現よりも,良いのではないかと思います。
同時に,「障害」という言葉自体もまた,大事な言葉の一つではあるので,それがふさわしい場面で使われてほしいとも思います。