まず、言っておきたいことがある。


私は女だ



性別→女だ。




一瞬わけがわからなくなるだろうから単純な情報として受け取ってもらえるよう「→」を使った。


読んでいる人が今までのブログを見てきた人だったらきっと、じゃあなぜ「僕」を使っているんだろうと考えを巡らせるだろう。


きっと巡らせた考えの一つには、実際の性と自分の思う性が一致していないのではという考えもあると思う。


それにはこう答える。


自分のことを女だと思ってないわけじゃない。

でも、女だと名乗ったら違和感がないわけでもない。



この違和感は、性が合致していないための違和感ではなくて、

性別という概念が苦手だから生まれたんだと思う。


これからそのことについて説明しようと思う。




社会で決まっていることのひとつに、性別という概念があると思う。

ひとは、なにが女らしくて、なにが男らしいか知っている。それは態度だったり、見かけだったり、身体的な特徴だったりする。


私は、

ひとは誰かと向き合うとき、

相手の性別を認識すると、そのひとのことを知るよりもさきに、「このひとは性別上こうなのでは」と決めつけてしまうんじゃないか

と思った。


私は、すべてのひとをひとりひとりとしてて見ていたい。

一度なにかを認識してその人のことを知った気になるのはいやだった。


私の中では、『相手のことを知る』というのは、

『自分の固定概念のフィルターを通して見た相手の姿ではなく、自分と相手が向き合ってはじめてわかったこと』だった。


だから私のなかでは、性別という概念が、無いとまではいわなくともあまり存在していない。


だから、まわりで性別という概念を感じると苦手な気がするようになった。




これが、私が「性別」が苦手な理由だ。






では、なぜ「僕」を使っているかというと、


「僕」ということばが好きだからだ。


「僕」は、ある一定の気分になって文を書きつらねたくなったときに使う。

落ち込んだり、感動したり…なんらかのことによって心が揺れ動くと「僕」や「僕たち」を使って表現したくなるのだ。

というより、そういうときは、「僕」を使った方がしっくりくる、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

もちろん、「私」の場合もある。


ということで、以上が私の「性別」に関する話だ。








つぎに、話は変わって今日行った場所について話す。


これから話すことはけっこう説明しなければいけないことがたくさんある。

今回は書かないことも多いが、これから少しずつ書いていこうとおもう。





今日は、高校を見に行った。


正確には、その高校に通っている生徒さんに個人で話を聞きに行った。


午前11時くらい。

父と電車に乗ってその場所へ向かった。

この前説明会に行ったときは車だった。

朝家を出る前に電車で行くことを知らされた私は、「車じゃないのー」と笑って文句を言った。


人混みの多いところは、1年ぐらいあまり行っていない。精神的な理由であまり外に出ていなかった。

私は、少しだけ不安に思いながらそこへ出発した。

外にあまり出なくなってからはじめての外出ではないからすごい不安だったわけではないけれど(この前はおばさんと渋谷に行ったし)、少しかまえながらむかっていた。


校舎に着くと待合室に通され、相手の生徒さんたちが部活動の休憩に入るのを待った。その時間に話をするらしい。

行きぎわに買ってきたタピオカミルクティーを飲みながら、しばらくして出てきた緑茶もひとくち飲んで、お父さんと話をした。


「生徒さんたちになんの話するの?」


もともと私がそんなようなことを父に話したことで(父により)発案された今日の面会は、私が学校について生徒さんたちに何か聞きたいことがあったからだと父は思っているらしい。


「学校についての質問をするために来たわけじゃない、よ。」


最初に話したことをもう一度言った。


私が来たのはそういう理由ではなかった。

私は、アルモノ以外、高校選びにおいて決断する基準がなにも見当たらなかった。

だけど唯一アッタモノ、それはともだちだった。ともだちしか選ぶ基準がなかった。

だから来た。

そこにいるひとたちを知ることが、自分の思いつく方法の中で一番わかりやすいと思った。とてもシンプルだし、ともだちになることに直結する。

自分の中で一番わかりやすかった。




だけどこうして父と話していると、不安になる。


部屋に通されたときといい、こうきかれることといい、

こういう面会はたいがいのばあい学校関連の質問を聞きにくるのだとみんなに言われている気がする。


「なにか学校についての質問考えておいたほうがいいかな?」


不安気にきくと、


「別にいいんじゃない。まあ、そのままで。」


と返ってきた。


わかってはいる。

私の一番頼れる理性はわかってはいる。あまり一般的でない理由であっても、こういう理由で来たのだと正直にしていればいいし、おおい隠す必要はない。


若干変なもの扱いされても、だ。


でも、感じたくない孤独感を背負う可能性を恐怖する自分がいることも、たしかだった。




生徒さんは、この前の学校見学で会ったひとたちと、その人たちが所属する部活動の人たちだった。

部の活動場所に降りていくと、鏡張りの部屋に、床に座って昼食を広げる女子学生が5人ほど座っていた。今のところ部屋にいるひとは私とお父さんと先生以外、それで全員だ。


そこまで狭くない部屋のスペースをもてあますかのように壁を背もたれにして1人ずつ座っている女子が2人。あとの3人は入り口の近くで一列になって昼食を囲んでいる。


顧問の先生に案内されて、私たちは、その3人組の前に座った。




いろいろと話はしたが、結局どれも私からの質問がメインになってしまった。

そんなに、通うことを前提として話そうとするほど行きたいと決めているわけではないのに、そんなかんじの話の流れになってしまっていた。


やっぱりそうか。


予想は当たってしまった。

予想した通りの現状を打開する「やる気」も、孤独感に恐怖する自分に押されて見えにくい。


ポジティブに考えれば、その人たちとともだちになるきっかけがつかめたかもしれないし、

ネガティヴに考えれば、自分の理想どおりの行動ができなかったとおもう。


笑みがどこからともなくはずんできて、そして跳んでいき、その空しさにあらたな笑みを探す。

そんなかんじのテンションの会話だった。




話を終えると、私たちは校舎の出入り口へ向かった。

しばらく出入り口の前で待ったあと先生方が来ると、父は受付の前で、私がこの学校に通うていで書類のことなんかを先生たちに質問していた。


私は視線をくるくるしながら、それを見ていた。


帰りにたいやきを買い、家に帰る。






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午後はメンタルクリニックに行った。





(とてつもなく長くなったので、この続きは次回書こうと思う)




今日はけっこう外出した。



ちなみに、今日の朝は昨夜の足つぼをやりすぎたのか、足の裏が痛かった。

歩くたびにすこしズキンときて、心配だった。




明日は治るかな。