自分と周り。
それを、よく、
「両立」すると、人は言う。
自分はその「両立」という言葉に怪しさを覚える
なんだかその言葉自体が、「どちらかしかできない」と言われているように聞こえてならないのかもしれない。
「両立」って言ってるのに。笑[自虐系]
自分の中ではどちらも欠かせない。
自分が大事に思っていることをやること、
そして周りに愛や思いやりを持ちたいということ。
どれを少なくしてもいけないし、無にすることもしたくない。
でもここで悩むのが、
自分とは何か
だ。
愛をもって接したいことは、 "自分" だ
自分を大切にしたいのは、"自分" だ
だから
もしかしたら
「優先」なんて言葉ないのかもしれない。
どちらを優にするか、どちらを劣にするか、そんなの選べない。
するべきと思えない。
いつも思う。
なんでこんなにも何かするごとに、
どちらが大切なのか天秤ではからなきゃいけないようなことになるんだろう と。
その天秤がとても悲しくて、やり過ごせなかった
もっと、やりたいこと全部やりたかった
選択肢が2つだけなのに
問題があるのかもしれない
どちらかを捨てなきゃいけないと考えてしまうのが、問題なのかもしれない
やりたいことを見つけることに、答えがあるのかもしれない。
自分を大切にしたい。
でもそれは、周りを大切にしたいというのと
すごく対照的に離れているわけでもない
と、
感覚的に思う。
「優先」するということは
「やらないことを作る」ことではないと思う
今、自分はすごく苦しい。
なんだか四方八方が霧に包まれている気がする。
周りに思いやりをもつ、愛をもつということは、どういうことなのか、
もっと真剣に考えるべきかもしれない。
"自分"があってこその、愛なのか、
"自分"なきところにある、愛なのか。
なんだか自分は、前者な気がする。
ただ、一体どういう愛なのかまだつかみどころが薄い。
ほんとに霧みたいだ
方法もわからない。
"自分"を表せば、自分の場合は人を傷つけてしまったことがあった。
でも同時によく考えてみた。
自分はその相手と話し合ったことがある。
すると、相手は、"自分"を、違う意味で受け取っていたらしかった。
己だけであるはずの "自分" は、
相手自身の "自分" に、違う"自分"として受け取られていたようなのだ
自分は全く意図せず、意識もせず、相手が解釈したものとは違う意味でやっていたことに対して、
相手は、自分がまったく知らないような答えを出してきた。
だからもしかしたら
相手は自分の気にかかることを、
こんな自分を見て気がついて
悩んでいるのかもしれない
悲しんでいたり、後悔が絶えなくて
辛いのかもしれない。
なぜか、自分の "自分"を
相手の "自分" に重ねられることは、
反省という言葉に
近いものがあると思う。
相手と自分の為になったりもするのかもしれない。
でもときにそれが
"理解されていない"と思うのかもしれない。
そのまま終わってしまうのは
涙が出るほどかなしいと思った。
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ちなみに今日は
三色ご飯だった。
まだ寝ないよ。
おやすみなさい。
