おれはもう還暦を過ぎた。

60才になったら急に体が衰えてきた。

血圧の薬を毎日飲まなければいけなくなった。

もう老い先は長くはない。

人生観も今までとは変わらざるを得なくなった。

人生の行きつく先が見えてくると急に昔のことを思い出す。

youtubeでそれに関するサイトを見た。

「あっそうそう、そうだったそうだった」

そのサイトとは何か。

「北海道のユースホステル」のことである。

今まで断片的に私のブログで

「青函連絡船」や「急行 天北」が出てくるがその時の旅行の時のものである。

今から40年ほど前の学生のころのことである。

あちこち「国鉄」の「周遊券」やレンタカーを使ってあちこち回った。

回る先で「ツーリング」をしている「バイク」を多く見かけた。

中型のバイクで北海道をツーリングしている人は当時多かったですね。

そういう方たちも各所の「ユースホステル」を利用したことでしょう。

今日書こうとするのは最果ての離島 礼文島 のユースホステル 桃岩荘 のことである。

旭川から「天北線」経由 「急行 天北」に乗って稚内に向かった。

その後。船に乗り、礼文島へ。

ユースホステルの迎えの車が来ているとのふれこみだったので港に到着後車を探した。

それらしき車が無いんですよね。

で、声を掛けられた。「これに乗って下さい。」

みると幌付きのトラックだった。

「こっちこっち」促されるまま乗せられたのは座席ではなく荷台の方だった。

「ユースホステル」の決まりで利用する人は「ただいまー」とあいさつし、ユースホステルの人は

「お帰りなさい」と。

夜は恒例のミーティング。

過激すぎてちょっと乗れなかったが、二段ベットだったか、個室ではなかった。

当時あちこちの「ユースホステル」に泊まったが

「ミ―ティング」は楽しかったよね。歌を歌ったり芸をしたり。

ギターを弾いていた人もいたなー。

当時三大きちがいユースホステルのひとつと言われていた。

その他のうちの一つが「えりも岬ユースホステル」

これがその動画。







僕はここには泊まったことはなかったが生き残っている三大きちがいユースホステルで現在生き残っているのは桃岩荘のみ。北海道のユースホステルも壊滅状態だそうだす。

年齢的に仕事もあと数年でやめるだろう。

学生時代のユースホステルでの、とても楽しかった思い出も夢だったのか。

「」内のものは40年前はあったが今はもうない。

すべては「夢」「幻」だったのか。きっとそうだろう。