おれは還暦過ぎのじじいである。

思えば「下手」の横好きの「外国語学習」のおかげで仕事でも(受験でも)大いに役に立った。

毎回、枕詞は同じである。これから述べることも「じじいの私見」であるので悪しからず。


今まで周りに「英語がしゃべれない」「英語が使えない」と言ってる人は何人もお目にかかった。

心の中で思っていた。「そりゃ、使わなければ使えるようにはならないだろ。」

僕は外国語は車の運転と同じだと思っている。

最初、自動車教習所に行くでしょう。

車の運転の基礎を学ぶでしょう。

免許を取るでしょう。

これだけで自由自在に車の運転が出来ると思う人はいないでしょう。

そして「車が使えない」と嘆く人もいないでしょう。

なぜか。だって、自分で怖い思いをしながらどんどん運転しなければ「車が自由自在に」

運転できるようにはならないでしょう。

英語やその他の外国語だって同じでしょう。

教習所と同じでX検3級は取る必要はあるでしょう。

その後、外人相手に実際に使わないと使えるようにはならないでしょう。

だって使わないんだもの。

いくら英検2級や英検準1級を取っても。教習所内でいくら良い運転ができても。

実際に路上に出てみないことには。

以前、どなたかの理論でこういうのがあった。

お勉強での知識は脳の使えない部分に貯蔵される。使えないけれども
試験には使える。

実際に使って覚えた、体で覚えた知識は脳の使える部分に貯蔵される、と。

実際に本当かどうかは分かりませんけれども

僕はそんな感じがしてますよ。今まで生きて来て。