二・二六事件 傍受された通話音声
鈴木貫太郎侍従長[編集] wikipedia
鈴木貫太郎侍従長 (ただし写真は連合艦隊司令長官当時のもの)
鈴木貫太郎(予備役海軍大将)は、天皇側近たる侍従長、大御心の発現を妨げると反乱将校が考えていた枢密顧問官の地位にいたことから襲撃を受ける。
叛乱当日は、安藤輝三大尉が襲撃部隊を指揮し、第1小隊を永田露曹長が、第2小隊を堂込喜市曹長が、予備隊を渡辺春吉軍曹が、機関銃隊を上村盛満軍曹が率い
、麹町区(現:千代田区)三番町)の侍従長公邸に乱入した。鈴木は、永田・堂込両小隊長から複数の拳銃弾を撃ち込まれて瀕死の重傷を負うが、
妻の鈴木たかの懇願により安藤大尉は止めを刺さず敬礼をして立ち去った。その結果、鈴木は辛うじて一命を取り留める。襲撃部隊の撤収後
、鈴木たかは昭和天皇に直接電話し、宮内庁の医師を派遣してくれるように依頼した[25]。この電話が襲撃事件を知らせる天皇への第一報となった。
安藤は、以前に鈴木侍従長を訪ね時局について話を聞いた事があり、互いに面識があった。そのとき鈴木は自らの歴史観や国家観などを安藤に説き諭し、
安藤に深い感銘を与えた。安藤は鈴木について「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人(鈴木)は西郷隆盛のような人で懐が
大きい人だ」と言い、何度も決起を思い止まろうとしたとも言われる。
その後、太平洋戦争末期に内閣総理大臣となった鈴木は岡田総理を救出した総理秘書官迫水久常(鈴木内閣で内閣書記官長)の補佐を受けながら終戦工作
に関わることとなる。鈴木は生涯、自分を襲撃した安藤について「あのとき、安藤がとどめをささなかったことで助かった。安藤は自分の恩人だ」
と語っていたという。
鬼父
9 か月前
架空請求業者みたいで草
鈴木貫太郎(予備役海軍大将)は、天皇側近たる侍従長、大御心の発現を妨げると反乱将校が考えていた枢密顧問官の地位にいたことから襲撃を受ける。
叛乱当日は、安藤輝三大尉が襲撃部隊を指揮し、第1小隊を永田露曹長が、第2小隊を堂込喜市曹長が、予備隊を渡辺春吉軍曹が、機関銃隊を上村盛満軍曹が率い
、麹町区(現:千代田区)三番町)の侍従長公邸に乱入した。鈴木は、永田・堂込両小隊長から複数の拳銃弾を撃ち込まれて瀕死の重傷を負うが、
妻の鈴木たかの懇願により安藤大尉は止めを刺さず敬礼をして立ち去った。その結果、鈴木は辛うじて一命を取り留める。襲撃部隊の撤収後
、鈴木たかは昭和天皇に直接電話し、宮内庁の医師を派遣してくれるように依頼した[25]。この電話が襲撃事件を知らせる天皇への第一報となった。
安藤は、以前に鈴木侍従長を訪ね時局について話を聞いた事があり、互いに面識があった。そのとき鈴木は自らの歴史観や国家観などを安藤に説き諭し、
安藤に深い感銘を与えた。安藤は鈴木について「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人(鈴木)は西郷隆盛のような人で懐が
大きい人だ」と言い、何度も決起を思い止まろうとしたとも言われる。
その後、太平洋戦争末期に内閣総理大臣となった鈴木は岡田総理を救出した総理秘書官迫水久常(鈴木内閣で内閣書記官長)の補佐を受けながら終戦工作
に関わることとなる。鈴木は生涯、自分を襲撃した安藤について「あのとき、安藤がとどめをささなかったことで助かった。安藤は自分の恩人だ」
と語っていたという。
鬼父
9 か月前
架空請求業者みたいで草
確かに似てるー。
335
me109g2mersu
1 年前
北一輝から安藤輝三大尉への会話。
北は成りすましだと、されています。
130
Shin T
9 か月前
高橋中尉がちょっとガッツ石松っぽい
115
takeji88
8 か月前
上村は当時21歳
なにもわかるわけない
59
期間工マイスター
8 か月前(編集済み)
上村軍曹、高橋中尉に対して確実にうん、うん、は?と発言してる。
元々は上司部下やけど、この通話の時は正規軍と反乱軍という敵対関係やから。
結局、うんうんは?の上村氏の処分は陸軍を解雇その後、警察官に転職。
上村氏を説得した高橋中尉はのちの大平洋戦争で戦死。
うんうんは?の上村氏は戦後、さらに警察官を辞めて鹿児島で不動産屋を営み、晩年は、孫に囲まれて幸せそうな普通の何処にでもいるお爺ちゃんになってました
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13
chiro kazama
1 年前
上村軍曹、本編の老後の映像でスナックでホステス横にカラオケ歌ってたな…
1 年前
上村軍曹、本編の老後の映像でスナックでホステス横にカラオケ歌ってたな…
83
ずいぶん、人生って皮肉なもんだなー。