A ほかの諸諸の存在との比較において、「人間とは理性的存在である」とか、「人間はことばをつかう動物である」とか、「道具を用いる動物である」とか言う説明は、それぞれ、それなりの意味を持ち、「人間」を特色づけている。しかし、それで「人間とは何か」が本質的に根源的に答えられたことにはならない。。それは人間をある存在として、ある動物として、なんらかの範疇に入れて定位してみせたにすぎない。そういう「存在」「動物」は何かという問いは永遠に続く。

B しからば、「人間とは何か」という問いとの関係においてはじめて、人間の生きがいや価値観が定位されるということはどういうことか。それは、答えのないことを知れながら、しかも問わないではいらないという、人間の(①)根源的なありかたに由来するというよりほかなかろう。人間に真の生きがいがあるとすれば、それはおそらく、この問いがごまかされないで、まともに問いとして受け止められた場合である。この問いに対して、完結した答えが与えられないことはすでにわかっている。もしそのようないわゆる(②)で観客的な、(③)で閉鎖的な、万人に通用する答えが出されたとしたら、それはほんとうの答えではない。偽りの答えである。

C しかし、もし、ソクラテスのように「魂の気づかい」とか、パスカルのように「人間は考える葦」であるとか、本居宣長のように「もののあわれ」とかいった開かれた原理――と私は言いたい――で人間の本質を説明するとしたら、それは必ずしも範疇のわく組に入れて限定したことにはならないと思う。それは「人間は永遠に己れみずからを問うものである」という定義と同じく、未完結的な、開かれた定義である。(④)、永遠に問いを展開させ、ほかの問いとの本末関係を維持ないし意識させることによって、答えの得られるほかの問いを正しく定位する原動力になる定義である。さきにわたしが根源的な問いとの関係において、生きがいが定位されるといったのは、このことである。

D 人間の生きがいや価値観は、「人間とは何か」という問いとの関係においてはじめてほんとうの意味をもってくる。それは、「人間とは何か」という問いの答えがまず出されて、それからこの答えに照らして人間の生きがいや価値観が定位されるということではない。そもそも「人間とは何か」という問いは答えのない問いである。だから、答えに照らしてということは無意味である。


サーチしからば:そうならば、それなら。

サーチまとも:きちんと向かい合うこと。道理にかなっていて、他人から非難される点のないこと。

サーチそもそも:最初、起こり。例:そもそも僕が始めたものだ。


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A~Dの段落の正しい順序はつぎのどれか。

1.A‐C‐B‐D  2.A‐B‐D‐C  3.D‐B‐A‐C  4.D‐A‐C‐B

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(①)に入る最も適当な言葉を選びなさい。

1.概念的   2.宗教的   3.主観的   4.宿命的

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(②)(③)に入る最も適当な言葉の組み合わせを選びなさい。

1.科学的―完結的  2.完備的―開放的  3.観念的―抽象的  4.典型的―主命的

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それ」とはどのような意味か。

1.「人間とは理性的存在である」とか、「人間は言葉を使う動物である」とか、「道具を用いる動物である」とかいうことで人間の本質を説明すること。

2.ソクラテスのように「魂の気づかい」とか、パスカルのように「人間は考える葦」であるとか、本居宣長のように「もののあわれ」とかいった開かれた原理で人間の本質を説明すること。

3.まず、「人間とは何か」という問の答えが出されて、それからこの答えに照らして人間の生きがいや価値観が定位されるということ。

4.そういう「存在」「動物」は何かという問は永遠に続くこと。

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(④)に入る最も適当な言葉を選びなさい。

1.さらに  2.さて  3.しかも  4.かえって

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この文章で、筆者が最も言いたいのは何か。

1.「人間とは何か」という問との関係においてはじめて、人間の生きがいや価値観が定位される。

2.人間の生きがいや価値観は、「人間とは何か」という問いとの関係においてはじめて本当の意味をもってくる。

3.「人間とは何か」という問は答えのない問である。

4.「人間とは何か」が本質的に根源的に答えられたことにはならない。


ニコニコ始めなので、司会は郭さんが担当します。場所は台南のマサコーヒーを決めました。時計日曜日、午後二時ですぅ。みなさん、上の文章ちゃんと予習しといてくださいねぇにゃんこ。