2時間48分。やっと『表現のための実践ロイヤル英文法』を読み終えた。毎日の読んでいた訳ではないが、ひと月かかった。さすがにこれを二度三度と通読する必要はないと思う。これ以降は、レファレンスとしてわからないことがあった時に開こう。題名にもある通り表現する際に、その文がどういう意味を持つのか、文章の持つニュアンスの細かい違いを詳しく書いてあるところが良かった。和文英訳の添削例が終わりの方にあり、面白かった。大学受験用の英訳教材にもあるのかも知れないが、見たことはないのでもしかしたら似た雰囲気の書き方かもしれないが。それと、終わりにある同じ意味の文章を二種類ずつ違う表現で併記してあるのだが、それも気に入った。
本日の勉強はそれのみ。ネットで英文を読むことは今日はほぼゼロ。あとは部屋の掃除をしたり本を読んでいた。今、私の部屋にはかなりの量の本があるのだが、それを一気に片付けようとしているのだ。読み終えて、手放すことは出来ないがもう読み返すこともないだろう本。買ったはいいものの積ん読のまま埃をかぶっている、当然まだいつかは読むつもりでいるので手放せない本。大きく分けてこの二種類の本がある。
しばらく前の自分であれば、これらはこのままずっと置き続けるものだと考えていた。けれど、以前も書いたかもしれないが、iPhoneやiPadで電子書籍を読む内にいつのまにかそれが当たり前のことになり、考えが変わっていたのだ。気に入っているなどの理由でどうしても紙のままの状態がいいものは別として、そうではない本はどんどん電子化(PDF化)していこうという考えになった。
本棚の奧から埃をかぶった昔よく読んだ本が出てくるのだが、このままの状態で場所をとり続けるよりは、データとして持っていた方が将来見るのも簡単だし部屋も広くなるとの考えだ。もちろん、全ての書籍をデータ化するのではない。前述したように電子化出来ないものはそのまま取っておくつもりだ。データ化することで持ち運びを容易にし、隙間時間で未読本の解消にもつながるのでは、という考えもある。現に、今私のiPhoneには200冊あまりのPDF化した書籍が入っているのだが、もう数冊これを使って読み終えたものもある。電子化しなければ依然として本棚の片隅で埃をかぶり続けていたであろう本たちだ。つまり、
本棚に入れたまま < データ化して持ち運び読み通す
ということだ。未読のままよりは、データ化して紙の書籍はなくなってしまうがとにかく読んで行こう、ということだ。そもそもそれらの本は読むために買ったものなのであるから。何もデータ化などしなくても読めばいいではないかと思うかも知れないが、これが読まないのだ。その本を購入してから何年も積ん読状態で放置していたという現実がその証拠である。携帯端末で持ち運べるようにすることでやっと読む訳だ。
紙の書籍にはもちろんその良さもあり私も理解している。しかし残念ながら、便利さという点でいうと、紙のままである方がいいという決定的な理由がないのだ。先日読んだ『本は、これから』池澤夏樹編 岩波新書などでも、電子化することで失われるものがあると述べる著作家の方が見られるのだが、それでも残念なことに強力な理由となるものはない。みな、どちらかというと精神論で終わっているように感じた。これは、先程から電子化・電子化とうるさく書いている自分自身でも悲しいことだと思っている。本というモノに対する愛着程度の理由でしかないのだ。本というオブジェを好むかどうか、という程度の。
続きはまた後日。
本日の勉強はそれのみ。ネットで英文を読むことは今日はほぼゼロ。あとは部屋の掃除をしたり本を読んでいた。今、私の部屋にはかなりの量の本があるのだが、それを一気に片付けようとしているのだ。読み終えて、手放すことは出来ないがもう読み返すこともないだろう本。買ったはいいものの積ん読のまま埃をかぶっている、当然まだいつかは読むつもりでいるので手放せない本。大きく分けてこの二種類の本がある。
しばらく前の自分であれば、これらはこのままずっと置き続けるものだと考えていた。けれど、以前も書いたかもしれないが、iPhoneやiPadで電子書籍を読む内にいつのまにかそれが当たり前のことになり、考えが変わっていたのだ。気に入っているなどの理由でどうしても紙のままの状態がいいものは別として、そうではない本はどんどん電子化(PDF化)していこうという考えになった。
本棚の奧から埃をかぶった昔よく読んだ本が出てくるのだが、このままの状態で場所をとり続けるよりは、データとして持っていた方が将来見るのも簡単だし部屋も広くなるとの考えだ。もちろん、全ての書籍をデータ化するのではない。前述したように電子化出来ないものはそのまま取っておくつもりだ。データ化することで持ち運びを容易にし、隙間時間で未読本の解消にもつながるのでは、という考えもある。現に、今私のiPhoneには200冊あまりのPDF化した書籍が入っているのだが、もう数冊これを使って読み終えたものもある。電子化しなければ依然として本棚の片隅で埃をかぶり続けていたであろう本たちだ。つまり、
本棚に入れたまま < データ化して持ち運び読み通す
ということだ。未読のままよりは、データ化して紙の書籍はなくなってしまうがとにかく読んで行こう、ということだ。そもそもそれらの本は読むために買ったものなのであるから。何もデータ化などしなくても読めばいいではないかと思うかも知れないが、これが読まないのだ。その本を購入してから何年も積ん読状態で放置していたという現実がその証拠である。携帯端末で持ち運べるようにすることでやっと読む訳だ。
紙の書籍にはもちろんその良さもあり私も理解している。しかし残念ながら、便利さという点でいうと、紙のままである方がいいという決定的な理由がないのだ。先日読んだ『本は、これから』池澤夏樹編 岩波新書などでも、電子化することで失われるものがあると述べる著作家の方が見られるのだが、それでも残念なことに強力な理由となるものはない。みな、どちらかというと精神論で終わっているように感じた。これは、先程から電子化・電子化とうるさく書いている自分自身でも悲しいことだと思っている。本というモノに対する愛着程度の理由でしかないのだ。本というオブジェを好むかどうか、という程度の。
続きはまた後日。