本日残業で帰宅も遅く勉強なし。車中でCD聴いたのみ。
さて、発音練習していて思うこと。CDでお手本を聴きながらだと強弱のついた音に近づけることは出来るのだが、お手本なしの時はちょっと気を抜くとすぐに日本語でと同じ様な口の中で作られた音になってしまう。
なかなか英語のお腹の底から出ているような響く音にならないのだ。強弱を付けようとしても、日本語に引っ張られて大小になってしまう。耳障りなほどの子音のストレスやびりびりと響く重低音がなかなか出せないでいる。
女性の話す英語でも、声は力強く腹の底から出ているように聞こえる。声が大きいのではなく、力強い。車の中でCDを聴いていても、発話されている時にびりびりと音が響くのを感じることもある。閉じた空間なので余計なのかも知れないが。通常の日本語ではそういう発話はしない。
息を勢いよく吐き出して出すようだが、前述したように、強弱をつけるのはなかなか難しい。日本語の堪能な欧米人が日本語で話すのを聞くと、彼らの母国語でのように響く音にはなっていない。腹の底からではなく、口の中で作られた音で話している。それは、そこに気づいているからだろう。抑揚も強弱ではなく大小で、それもそれほど幅がなくのっぺりとしている。つまり、日本語らしい発話が出来ているということだ。母国語での会話においてするような強い発話を抑えているのだろうか。
小林克也氏は日本語で話す時にも、英語での発話時のように響く音で話している。英語の発音方法が日本語にも侵食している例だと思う。日本語だろうと英語だろうと、それが彼の発話時の習慣として定着してしまっているのかも知れない。
そう考えると自分の今後の発音練習としては、日本語と英語で発話方法を統一るのがいいのか、英語で話す時だけ腹の底から響かせるような音を出すのがいいのか、ちょっと考える。
統一すれば日本語の時でも小林克也氏のように響く音で話すが、統一しなければ英語の時だけ突然発話方法を変えて声質も変える訳だ。現実的なのは後者だろうか。外国語の学習によって、母国語での会話時の発話までも変えてしまった、なんていう話しは聴いた事ないなぁ。小林克也氏は、英語習得前と習得後で日本語での会話の際の声質は変わったのだろうか。
…などと、そこまで考えると必要などないのだが、音読や発音練習をしていてそんな事をたまに考えたりしている。
さて、発音練習していて思うこと。CDでお手本を聴きながらだと強弱のついた音に近づけることは出来るのだが、お手本なしの時はちょっと気を抜くとすぐに日本語でと同じ様な口の中で作られた音になってしまう。
なかなか英語のお腹の底から出ているような響く音にならないのだ。強弱を付けようとしても、日本語に引っ張られて大小になってしまう。耳障りなほどの子音のストレスやびりびりと響く重低音がなかなか出せないでいる。
女性の話す英語でも、声は力強く腹の底から出ているように聞こえる。声が大きいのではなく、力強い。車の中でCDを聴いていても、発話されている時にびりびりと音が響くのを感じることもある。閉じた空間なので余計なのかも知れないが。通常の日本語ではそういう発話はしない。
息を勢いよく吐き出して出すようだが、前述したように、強弱をつけるのはなかなか難しい。日本語の堪能な欧米人が日本語で話すのを聞くと、彼らの母国語でのように響く音にはなっていない。腹の底からではなく、口の中で作られた音で話している。それは、そこに気づいているからだろう。抑揚も強弱ではなく大小で、それもそれほど幅がなくのっぺりとしている。つまり、日本語らしい発話が出来ているということだ。母国語での会話においてするような強い発話を抑えているのだろうか。
小林克也氏は日本語で話す時にも、英語での発話時のように響く音で話している。英語の発音方法が日本語にも侵食している例だと思う。日本語だろうと英語だろうと、それが彼の発話時の習慣として定着してしまっているのかも知れない。
そう考えると自分の今後の発音練習としては、日本語と英語で発話方法を統一るのがいいのか、英語で話す時だけ腹の底から響かせるような音を出すのがいいのか、ちょっと考える。
統一すれば日本語の時でも小林克也氏のように響く音で話すが、統一しなければ英語の時だけ突然発話方法を変えて声質も変える訳だ。現実的なのは後者だろうか。外国語の学習によって、母国語での会話時の発話までも変えてしまった、なんていう話しは聴いた事ないなぁ。小林克也氏は、英語習得前と習得後で日本語での会話の際の声質は変わったのだろうか。
…などと、そこまで考えると必要などないのだが、音読や発音練習をしていてそんな事をたまに考えたりしている。