一日仕事で、夜はジム。勉強時間は30分ほどでした。
私は十年ほど前に韓国へ一年間留学していました。そこでは当然現地の友人が出来、よく一緒に出掛けたり飲み歩いたりしていました。まぁ、一人でふらふらとソウルやその近郊を探索していたことも多かったですが。
日本語を学習していて話せる人もいましたが、ほとんど会話は韓国語で行っていました。すると、韓国語が自分の中に染み込んでくるように馴染んでくるのです。
いくつかの単語は、今でもすっと口から出て来ます。日本語で説明するのがもどかしくなるほど韓国語の意味のみで理解しているものもいくつかあります。そういった言葉は、本当にその言語で理解しているのだと自分でも感じています。(けれどあるいは反対でしょうか?理解していないから、日本語という別の言語では説明できないという。)
似た意味の単語でも、そのニュアンスを理解しているつもりなのに日本語では説明できない、ということもあります。
それが、理解していることの表れなのかそうでないのかは、とりあえずここではこれ以上述べませんが、ひとつ言えるのは、前述したようにそれだけ韓国語が自分の中に染み込んでいるということです。
これは、当たり前ですが生身の友達とその言葉で数えきれないほどの会話を交わしたからです。私が韓国語で話す時には日本語でほど完全にではないにしろ、そこに感情を入れることが出来ます。言われたことも相手の感情を読み取ることがそれなりに可能です。
けれどいま勉強している英語に関しては、過去に英語で会話したことはもたろんありますが、韓国語と比べると微々たるものです。なので、生身の人間を相手にした意思疎通の道具としての言語という理解がよくできていません。まだ何か記号の羅列を読み解いているような感じがしています。
架空でもいいので、英語で言葉を交わす相手を想定しながら学んでいけば習得も早く進むように思っています。韓国語の場合、そのリアルな友達が多数いたために"生きた言葉"として私の中に定着したわけです。
そうすると、英会話スクールの講師やネットの画面の向こうにいるネイティブ、あるいは本当に単なる脳内友人でもいいので、対話の相手を想定しながら勉強を進めている人のほうが進捗状況が良いのかも知れません。
これに関してはちょっと自分も考えないといけないな、と思っています。
私は十年ほど前に韓国へ一年間留学していました。そこでは当然現地の友人が出来、よく一緒に出掛けたり飲み歩いたりしていました。まぁ、一人でふらふらとソウルやその近郊を探索していたことも多かったですが。
日本語を学習していて話せる人もいましたが、ほとんど会話は韓国語で行っていました。すると、韓国語が自分の中に染み込んでくるように馴染んでくるのです。
いくつかの単語は、今でもすっと口から出て来ます。日本語で説明するのがもどかしくなるほど韓国語の意味のみで理解しているものもいくつかあります。そういった言葉は、本当にその言語で理解しているのだと自分でも感じています。(けれどあるいは反対でしょうか?理解していないから、日本語という別の言語では説明できないという。)
似た意味の単語でも、そのニュアンスを理解しているつもりなのに日本語では説明できない、ということもあります。
それが、理解していることの表れなのかそうでないのかは、とりあえずここではこれ以上述べませんが、ひとつ言えるのは、前述したようにそれだけ韓国語が自分の中に染み込んでいるということです。
これは、当たり前ですが生身の友達とその言葉で数えきれないほどの会話を交わしたからです。私が韓国語で話す時には日本語でほど完全にではないにしろ、そこに感情を入れることが出来ます。言われたことも相手の感情を読み取ることがそれなりに可能です。
けれどいま勉強している英語に関しては、過去に英語で会話したことはもたろんありますが、韓国語と比べると微々たるものです。なので、生身の人間を相手にした意思疎通の道具としての言語という理解がよくできていません。まだ何か記号の羅列を読み解いているような感じがしています。
架空でもいいので、英語で言葉を交わす相手を想定しながら学んでいけば習得も早く進むように思っています。韓国語の場合、そのリアルな友達が多数いたために"生きた言葉"として私の中に定着したわけです。
そうすると、英会話スクールの講師やネットの画面の向こうにいるネイティブ、あるいは本当に単なる脳内友人でもいいので、対話の相手を想定しながら勉強を進めている人のほうが進捗状況が良いのかも知れません。
これに関してはちょっと自分も考えないといけないな、と思っています。