MRIC投稿予定原稿の2次稿です。
事実関係の誤認や、反対意見など、お寄せ頂けますと幸いです。
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「ある癌患者から診たイレッサ問題の教訓と今後の医療に望むこと」

癌患者 study2007

イレッサ訴訟は国とアストラゼネカ社が東京・大阪両地裁の和解案を拒否し、2月28日に大阪地裁で判決が下りました。和解案では国の責任も認定しながら判決では国家賠償は認められないなど疑問点もありますが、本稿ではイレッサ問題から得るべき教訓と医療に望むことを私の理解の範囲で記載致します。国、製薬会社のみならず患者や医療者の皆様の広範な御意見・ご批判など伺えますと幸いです。

1.イレッサについて:
私は2007年3月に多発肺転移を有する進行癌と診断され国立がんセンター中央病院で化学療法を開始しました。初回治療はカルボプラチン+パクリタキセルでした。その後放射線治療と抗癌剤を繰り返しながら現在まで治療を継続しております。残念ながらEGFR遺伝子変異は無く私自身はイレッサ適応はありません。治療を開始した2007年以降もイレッサは広く医療現場で使われており、イレッサの適応がある方の経過を聞く度に羨ましく感じております。

近年改善されてきたとはいえ白金系やタキサン系抗癌剤の副作用が強いのは事実です。二剤併用レジメンは4~6コースが治療の目安で半年以上の継続は通常困難です。それに対しイレッサの副作用は比較にならないほど軽微だと言えます。効果の程度や耐性までの期間に個人差はあるものの年単位の処方も可能です。2010年にはEGFR変異を有する手術不適応患者の化学療法として第一選択肢になりうることを示唆する治験結果も出ています。イレッサは進行肺癌治療の現場にリスクを上回るメリットをもたらしました。その事実は現在も市販開始当時も同じだと思います。大阪地裁の判決もイレッサの効能そのものは否定しておりません。

2.裁判の争点について:
判決では製造物責任法2条2項「指示・警告上の欠陥」が問われました。添付文書の記載が不充分で間質性肺炎の注意喚起が不充分だったという判断です。重要なものは前の方に書くとの「通達」が根拠になった様です。原告が訴えたのは「文書だけ」では無かったと思います。アストラゼネカ社が臨床試験や臨床試験以外の使用実績における副作用情報を軽視したこと。販売を急ぐあまり積極的な注意喚起を怠ったこと。また国がそれら副作用情報を得ていたにも関わらず承認時に深く考慮しなかった事などの責任を追及しています。

私も原告の指摘は方向性として正しいと思います。アストラゼネカ社も国も自らの判断と行動の中に反省すべき点がなかったか正直に振り返り今後の教訓とせねばならないと思います。その一方で、いくつかの抗癌剤を経験した癌患者としてイレッサの添付文書(初版2002年7月)に不法と言える程の不備があったとはやはり私には思えません。間質性肺炎の記述が2ページ目の重大な副作用の4番目に記載されているからといって、軽んじたり見落としたりすることは有り得ないと思うからです。

間質性肺炎は一般には馴染みのない病名かもしれませんが、癌治療中に肺炎を併発することの恐ろしさは患者も医療者も文字通り骨髄に染みて感じています。重要な副作用欄に間質性肺炎とあればレントゲンを頻回に撮り、また咳や熱に注意し主治医と相談しながら治療を行います。イレッサは一般の消費者が薬局で自由に買って処方する薬剤とは違います。医師により処方され、その指示に従いながら投与をすれば他の抗癌剤に比べ決して危険とは言えません。原告は「臨床試験の結果を軽視した」と追求しました。確かに数万人が使用した現在に比べ販売開始当時の知見が乏しかった事も事実だとおもいます。しかしながら間質性肺炎の恐れを隠したわけでは無く「頻度が不明」である事も含め添付文書に明記したアストラゼネカ社と、販売を承認した国に法的責任まで認定するのは行き過ぎだと感じます。

3.真の問題はなにか?:
販売後わずか2年半に500人以上が死亡した事実は甚大です。全症例を解析しないと明確なことは言えませんがイレッサ関連死が一定の割合で起こったであろう事は私も疑いません。ですが、その原因の全てが「添付文書の記載が目立たなかった」事だけに拠るとは恐らく誰も考えていないはずです。

・原告に限らず「夢の新薬」や「神の手」を追い求める信仰が我々癌患者には無いでしょうか?。週刊誌やインターネットの情報は信じても腫瘍内科医の提案には耳を貸さない。内容を理解せず手術の同意書にサインをし「先生にお任せします」。日常的にそういった患者・家族を見かけないでしょうか?

・マスコミもプレスリリースを吟味せず無責任な報道をしなかったでしょうか?。例えば現在も「抗癌剤は効かない」とか「がんもどき」など証拠レベルの極めて低い情報が週刊誌に大々的に報じられ治療判断に悪影響を与え続けていないでしょうか?。そういった出版社の過失責任はアストラゼネカの無過失責任とは比較にならないくらい重大だと思えます。

・また販売当時の医療現場に慢心は無かったでしょうか?。例えば原告の一人の方の治療経過では、間質性肺炎の恐れが明記されている新薬の初回治療なのに「30日分処方して退院させ」前縦隔への放射線治療から僅か2週間後に服用を開始させるなど油断があったと言わざるを得ません。

イレッサ訴訟は医療問題に対する「裁判の限界」を示していると感じます。癌治療の背景と土壌に横たわり続ける本当の問題を考え直す機会を逸しました。また患者の抗癌剤へのアクセスを更に悪くしたとも思います。「ドラッグラグを人質に取るのは卑怯」との意見もありますが、もしも今回の司法判断を受け入れるのなら今後は副作用の頻度とグレードを第III相試験で統計的に見極め、法令か通達に基づく字体、大きさ、字色、順番、などを忠実に守らねばなりません。承認までの期間と試験量が増大することはいわば数学的事実です。卑怯かどうかは関係がありません。それは誰も望んでいないことでしょうし、とりわけ治療が必要な癌患者にとってはまさに死活問題です。

イレッサ問題を真に教訓とするならば、通常の裁判所の下位に医療問題を扱う調停機関として医師による医療裁判所を設けることを検討してはどうでしょうか?。第三者の医師・専門家が審理する合理的な判断の場をつくり原則として責任追及よりも原因の解明、改善策の示唆、補償内容の提示を行う。希に起こる「故意」による医療事件などは通常の裁判所に廻し医師の職権の停止・剥奪なども行う。医療問題ではしばしば病院や医師の能力・資格についても国民の関心が集まります。これらの問題を国の管理・指導に頼らず「医師の自治」で解決できる様になれば国民はそれを受け入れると思います。医療裁判所は国民と医療の信頼関係を醸成する一助に成り得るのではないかと考えます。

4.患者が望むもの
原告や患者が最も強く望む(望んだ)ものは何でしょうか?それは「治癒すること」だと(だったと)確信します。手術不適応進行癌における治癒とは癌に勝つ事ではなく長期にわたる「引き分け」だと私は定義しています。例えば私は「診断から5年生存」をひとつの目標に設定しました。もしも世界中の抗癌剤や分子標的剤、ワクチン療法や高性能放射線装置など、全ての武器を自由に使わせて貰えれば恐らく5年はクリアできると想像しています。さらにBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)などの開発費も出して貰えれば10年生存も夢ではないと期待しています。費用や治療待ち期間に制限されず全ての患者が個々に最適なルートを辿れば全生存期間は飛躍的に伸びると信じます。

仮に治らないとしても「望んだ延命・緩和治療がうけられる」ことは切実な要望だと思います。この部分が適切にフォローされない限り「夢の新薬」事件はいつでも起こり得ると思います。「がんもどき」騒動が沈静化しても繰り返し同様のスキャンダルや根拠のない代替療法が現れると思います。この状況を抜け出し負担に見合った医療を実現する為には何が必要でしょうか?私は乗り越えなければならない壁が少なくとも2つはあると感じています。

第一の壁は医薬品・機器の承認制度です。薬や機器の使用や保険適応を監督官庁が主催する会議や所管する独立行政法人で一元的に承認・審査するのは合理的ではないと考えます。ある患者に抗癌剤が有用かどうかは学術的研究を基に個々の治療現場で判断する以外にない事を治療の過程で学びました。また保険負担とすべきかどうかは必要性や費用対効果、地域性など考慮し県もしくは医療圏単位で医療費と医療現場の実状に合わせて調整すべきことがらだと考えます。

第二の壁は医療の分散化です。進行癌の治療は何かひとつの薬や治療法では通常制御しきれない事も知りました。複数の分野でそれぞれに高度な技量を持った医師に協力して貰う事が必須です。均てん化という政策は「分散化」の側面が強く、専門化と集約化が求められる現在の医療現場には対応できていないと思います。人口分布や疾病毎の統計を根拠とした効率的な病院の配置と専門医の育成が急務だと考えます。

この二つの壁を乗り越える為には患者(国民)も医療費や医師といった医療資源に限りがあることを思い直す必要があると思います。ランチバイキングの様に医療に殺到し全体のバランスを考えず「自分」達の薬や診療を声高に注文し続ける。こういった態度を改め「公」の医療を育てる自覚を持たない限り医療現場の疲弊は改善されず高度で合理的な医療の実現も程遠いはずです。

5.まとめ
イレッサ問題は「どこまで手を尽くしたのか」のがひとつの争点になったと思います。議論があるのは良いことですが、少なくとも利益と不利益、目指すべき目標(容認できる事故発生率)などを定量的に話し合う必要があると思います。有限な医療資源(医療費、専門医、新薬開発に要する費用や時間)を度外視して究極の安全を求めるのは非科学的な幻想であることを国民は知るべきと考えます。「私には解りにくい」「いや医学的には常識だ」という水掛け論でなく定量的な評価と判断を基に「合意」されることを一人の癌患者として願います。

現実には医療事故も副作用死もゼロにはならないと思います。しかしながら医療裁判所や無過失補償制度などを設けることで医療者や患者のリスクと不満を最小化することは目指せるはずです。「お上」がいて一部の団体が陳情する、難しいことは医者や企業に丸投げで、何かあれば訴訟を起こす。イレッサ問題がそういった従来型の発想ではなく権限と責任の一部を「民と地域」に移管・分散し現場の事実の積み重ねにより科学的に運用される、そういう効率的な医療の実現を目指すきっかけになる事を切に期待いたします。


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