私が学生だった頃、大学院の先輩が平和記念公園に見学に行き、広島での学会発表に遅刻した
事があった。結局発表できずに終わり、研究室の「学会報告」では原爆資料館の報告をした。

てっきり教授連中に怒られるかと思ってみていたら、意外な事に、褒められて終わった。
曰く「学会なんか行くより原爆の勉強をする方がよっぽど価値がある」とか、
「資料館だけで無く、慰霊碑なども見てきたのは感心だ」とか、そんな内容だったと思う。

本当は平和公園にも行き、学会発表もちゃんとするのが当たり前だと思うが、
研究の内容よりソフトボールの定期戦の打率の方が評価される様な研究室だったし、
まあ、昔の大学の物理学科なんてのはこんなモノである。

科学技術者、とりわけ素粒子・原子核研究に携わる者にとってヒロシマ・ナガサキは
自分が「どんなに間違った事でもしでかしかねない」事の具体例である。

原爆について仮に「何かが判った」あるいは「何か一部でも解決した」様に思えたとしても、
多分それは錯覚である。常に考え続けなければならない「原罪」であり、それは政治的にも
同じと考える。

にも関わらず厚労省と与党は独自基準を主張し、被爆者救済や原爆症認定を不当に
回避し続けてきた。原爆に限らず、国は(沖縄を含め)民間人の戦争被害について
戦前、戦後を通じて一貫して無視し続けて来た。

抗癌剤の保険承認を不当に遅らし、1日も早く、1人でも多くの癌患者が死ぬのを
待っている現在の厚労行政と、その手口、姿勢、性根において完全に一致している。

その麻生自民党と舛添厚労大臣は手のひらを返した様に8月6日の今日、原爆症認定訴訟の
原告全員を認定する方針を発表した。曰く、「完全解決の為の政治決断」との事である。

被爆者の平均年齢が75歳を越えるまで、与党と厚労省は気の遠くなる程の時間稼ぎを行い、
補償されるべき人数と余命が消えて無くなる直前までゴミクズとして扱ってきた。
その「最期の命」を今度は選挙目当てに利用する事を思いついた様である。

舛添氏の言う「完全解決」とは救済が必要な、あるいは必要だった被害者の命を
最期の一滴まで「完全に」自分の政治的保身や出世の為に「使い切った」という意味だと
解釈する。ある条件さえ揃えば「どんな間違いでもしでかす」グループの一人の様に見える。
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ーーーーーーーーーーー<下記追記>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜のニュースを見て、再度怒りがこみ上げて来たので下記追記する。

今回「解決」したボリュームは原告300人に対しての医療給付金、月額14万円である。
原告が平均あと5年生きたとしても、5年間で25億円程度の支出に過ぎない。

その中の敗訴した患者については(一切何も決まっていない)基金からの支出である。
更に原告に加わっていない、より多くの患者の事は当然の様に無視を決め込んでいる。

いずれにしても実質的には選挙後の新政権が担当する事になる。

僅か2~3ヶ月前に14兆円の補正を組み、使い道すら思いつかないので、
相当部分を基金に充て、ドブに捨てておきながら、それでも尚、麻生氏も舛添氏も
原爆症患者の事など1円も考えてこなかった。

現政権が行ってきた事は純粋に「見殺し」だけである事を再確認する必要がある。
産経などの保守系報道機関は今回の件を好意的に伝えている向きもあるが、
先進国で報道に携わる人間の最低限の知能とモラルは維持して貰いたい。