戸塚洋二氏の闘病と死から得られる教訓は以下の2点だと考える。

・医療情報の患者本人(家族)への公開の不備
・抗癌剤の許認可に関する施策・行政の不合理。である。

先ず、画像や採血などの全データは患者に渡す事を「義務化」すべきである。
費用、技術的には極めて簡単な事である。患者本人に不安がある場合は家族・親戚
等の「キーパーソン」宛てに郵送するのでも構わない。

ムダな医療訴訟や治療上の判断、患者の不安と不満はかなり軽減できるし、
戸塚先生の例では治療方針と予後そのものに大きな影響を与えた可能性が高い。


次に、他の直腸癌患者同様、戸塚氏にとっても、最も抗癌剤が必要だった
時期に「正しい抗癌剤」を処方できずに治療の足を引っ張る結果になっている。

2004年当時、オキサリプラチンがアジア未承認だったのは北朝鮮、モンゴルと日本
だけである。厚生労働省の薬事行政がいかに遅れているかを象徴的に示している。

HIVの薬害では厚労省は「必要な規制をワザと避け続けた」、
抗癌剤については「必要性の薄い規制をワザと堅持し続けている」。

厚労省が国民の健康や福祉を合理的に判断する事無く、業界の利益と保険料低減
を不当に擁護し続けた結果、他の癌患者同様、価値ある人材を亡くした。

行政上は厚労省が窓口になってはいるが、この施策方針は与党の指示で
行われているし、それを支持、維持してきたのは社会全体である。

世界的な研究者のノーベル賞直前の死について、様々な見解がある。が、殆どは
「データを整理してて、すごい」とか「科学者も最期は宗教に依存した」など
の下らないことばかりである。患者の私からみると特筆すべき事は無い。

この症例を見たときに痛感すべき事は、
・寛解までは行かなくとも、より長期に生存できた人を死なせてしまった事。
・それは技術的、医療的な問題よりも社会的、制度的な要因の方が大きく、
 その責任は我々、及び社会の全体にある。
という事だと考える。