欧州、米国、ロシア、日本、の4極に中韓、インドを加え2007年にITER協定はスタートした。
何度も挫折しかけたが最終的に「建設地」と「初代機構長など」を日欧が分け合う事で決着した。
(図はITER建設地フランスのカダラシュ。勿論立地的には六カ所村とは雲泥の差ではある)
方式の是非や2500億の建設地負担、大量の放射性廃棄物、、など小柴さんや立花隆氏にも
さんざん批判され、最後の最後に2000億円が惜しくなり財務省が「手を引く」と判断した。
私はITERと利害が対立する立場にあったが、それでも国内誘致には賛成だった。が、
結局は「政治判断」により1つの貴重な財産が失われた。
物理に限らないと思うが、EUと米国の間には研究者間の垣根は殆ど無い。能力ある人が
自由に行き来し成果を出してゆく。もしITERを茨城あたりに作ればプラズマや核融合に
関連する優秀な人材が集まる「世界の中心」になったはずである。
予算的には「がら空きの大分自動車道40~50km分」程度の公共事業と同等である。
が、むしろ財務省的には北海道や九州の高速道路よりも優先度は低かったらしく、
失ったものは余りにも大きかったと考える。
見返りに得た「初代機構長ポスト」に誰がなるか?も当時研究者の間では話題になった。
私は核融合分野の人間では無いが、メーリングリストなどで「国内に適任者がいるか?」
と疑問を投げかけ、特に若手の皆さんから「猛反発」を浴びた経験がある。(^_^)v
研究分野こそ違うが、欧州原子力研究機構CERNの所長・機構長人事の歴史を見ると、
象徴的な人事とは言え、最低でもノーベル賞級のそれなりの顔ぶれが並んでいる。
初代ITER機構長も「世界の歴史」に名を残す人事である事には間違い無い。
が、後日官僚出身の池田要氏が「天下る」ことが決定した。いわば「国際天下り」である。
副機構長にSNSのN. Holtkamp氏が就いたのも驚いたが、根本的な意味合いは全く異なる。
民主党が作る?「国家戦略局」にどの程度の見識と精度があるか見物である。
こういった数百億円前後の「中規模予算」の裏側と将来性をどこまで見透す
能力があるか?に真の政策センスが反映されると考える。
当時「セコい縄張り争い」で必死だった小柴さんや立花隆氏の見識も残念ながら、
「結局は1兆円以内&10年以内」の程度でしか無かった、と言わざるを得ない。
ーーーーーーーーーーー以下、池田氏の略歴ーーーーーーーーーーーーーーーー
池田 要 昭和21年 1月 1日生
学歴: 昭和43年3月 東京大学工学部原子力工学科卒業
昭和 43年4月 科学技術庁原子力局調査課
46年4月 通商産業省公益事業局計画課
50年7月 科学技術庁原子力局核燃料課課長補佐
52年10月 同 計画局計画課専門官
54年1月 同 課長補佐
55年1月 同 原子力局政策課課長補佐
58年4月 同 政策課政策企画官
59年11月 同 核燃料課長
60年4月 外務省在アメリカ合衆国日本国大使館参事官
63年8月 科学技術庁科学技術振興局国際課長
平成 元年6月 工業技術院標準部材料規格課長
3年6月 科学技術庁研究開発局企画課長
4年6月 同 長官官房秘書課長
5年6月 通商産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)
7年6月 科学技術庁長官官房審議官(科学技術政策局担当)
8年6月 同 原子力安全局長
10年6月 同 研究開発局長
12年6月 同 科学審議官(13.1退官)
13年1月 宇宙開発事業団理事
15年 クロアチア大使
17年11月 ITER機構長予定者として選出
何度も挫折しかけたが最終的に「建設地」と「初代機構長など」を日欧が分け合う事で決着した。
(図はITER建設地フランスのカダラシュ。勿論立地的には六カ所村とは雲泥の差ではある)
方式の是非や2500億の建設地負担、大量の放射性廃棄物、、など小柴さんや立花隆氏にも
さんざん批判され、最後の最後に2000億円が惜しくなり財務省が「手を引く」と判断した。
私はITERと利害が対立する立場にあったが、それでも国内誘致には賛成だった。が、
結局は「政治判断」により1つの貴重な財産が失われた。
物理に限らないと思うが、EUと米国の間には研究者間の垣根は殆ど無い。能力ある人が
自由に行き来し成果を出してゆく。もしITERを茨城あたりに作ればプラズマや核融合に
関連する優秀な人材が集まる「世界の中心」になったはずである。
予算的には「がら空きの大分自動車道40~50km分」程度の公共事業と同等である。
が、むしろ財務省的には北海道や九州の高速道路よりも優先度は低かったらしく、
失ったものは余りにも大きかったと考える。
見返りに得た「初代機構長ポスト」に誰がなるか?も当時研究者の間では話題になった。
私は核融合分野の人間では無いが、メーリングリストなどで「国内に適任者がいるか?」
と疑問を投げかけ、特に若手の皆さんから「猛反発」を浴びた経験がある。(^_^)v
研究分野こそ違うが、欧州原子力研究機構CERNの所長・機構長人事の歴史を見ると、
象徴的な人事とは言え、最低でもノーベル賞級のそれなりの顔ぶれが並んでいる。
初代ITER機構長も「世界の歴史」に名を残す人事である事には間違い無い。
が、後日官僚出身の池田要氏が「天下る」ことが決定した。いわば「国際天下り」である。
副機構長にSNSのN. Holtkamp氏が就いたのも驚いたが、根本的な意味合いは全く異なる。
民主党が作る?「国家戦略局」にどの程度の見識と精度があるか見物である。
こういった数百億円前後の「中規模予算」の裏側と将来性をどこまで見透す
能力があるか?に真の政策センスが反映されると考える。
当時「セコい縄張り争い」で必死だった小柴さんや立花隆氏の見識も残念ながら、
「結局は1兆円以内&10年以内」の程度でしか無かった、と言わざるを得ない。
ーーーーーーーーーーー以下、池田氏の略歴ーーーーーーーーーーーーーーーー
池田 要 昭和21年 1月 1日生
学歴: 昭和43年3月 東京大学工学部原子力工学科卒業
昭和 43年4月 科学技術庁原子力局調査課
46年4月 通商産業省公益事業局計画課
50年7月 科学技術庁原子力局核燃料課課長補佐
52年10月 同 計画局計画課専門官
54年1月 同 課長補佐
55年1月 同 原子力局政策課課長補佐
58年4月 同 政策課政策企画官
59年11月 同 核燃料課長
60年4月 外務省在アメリカ合衆国日本国大使館参事官
63年8月 科学技術庁科学技術振興局国際課長
平成 元年6月 工業技術院標準部材料規格課長
3年6月 科学技術庁研究開発局企画課長
4年6月 同 長官官房秘書課長
5年6月 通商産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)
7年6月 科学技術庁長官官房審議官(科学技術政策局担当)
8年6月 同 原子力安全局長
10年6月 同 研究開発局長
12年6月 同 科学審議官(13.1退官)
13年1月 宇宙開発事業団理事
15年 クロアチア大使
17年11月 ITER機構長予定者として選出